[NO.881] 久世光彦の世界/昭和の幻景

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久世光彦の世界/昭和の幻景
責任編集 川本三郎齋藤愼彌 
柏書房
2007年3月15日 第1刷発行

 424ページにわたる大部。実に読みであり。面白い編集で、追悼文、文庫解説集成、対談・インタビュー、作品集、久世光彦詞華集(久世さんの愛した作品)。最後の詞華集が振るっています。
 小説として小沼丹「村のエトランジエ」、向田邦子「かわうそ」、内田百けん「サラサーテの盤」、川端康成「雪」、太宰治「満願」、江戸川乱歩「押絵と旅する男」、野溝七生子「往来」、松井邦雄「悪夢のオルゴール(抄)」、渡辺温「可哀想な姉」。
 詩は大木惇夫「戦友別盃の歌」、北原白秋「秋の日」「紺屋おろく」、中原中也「朝の歌」「雪の宵」、西條八十「空の羊」「蝶」、三好達治「乳母車」「少年」、佐藤春夫「少年の日」「海辺の恋」「秋刀魚の歌」、伊東静雄「八月の石にすがりて」「水中花」、久保田万太郎「湯豆腐」。最後に劇画として上村一夫「鶏頭の花」。

 山本夏彦氏との対談「閑談 昭和十年前後」、冒頭から面白し。
p120
久世 「昭和十年前後」ということで話をせよということですが、はじめにはっきりしておきたいのは、山本さんはどうも僕を同世代になさりたいようだけど、実は親子ほども世代が違うわけで、山本さんが最初の本『年を歴た鰐の話』をおだしになった昭和十六年と言えば、僕はまだ小学校へも入って居りません(笑)。

 インタビューで、ほとんど山本節とも思えるフレーズが続出。
p230
 向田ドラマを続ける意味のひとつには、あの時代は暗くなかったよ、ということを言いたいんです。二度の大戦にはさまれて、皆が下を向いて歩いているような感じで言われることが多いんですが、決してそんなことはなかった。十分おもしろくて明るかったんですよ。
 それとあの時代は、文化のバランスがとれていた、日本人にとって好ましい環境ではなかったかと感じるんですね。ぼくの家を思い出しても、まあ、中産階級の家庭でしたから、当時の文化のあり方が暮らしぶりに非常に反映されていたと思うんです。一口で言えば、渾然一体。玄関はアールデコの様式で、ステンドグラスがはめられていて、部屋に入るといきなり畳。西洋文化と日本の古来からの文化と中国文化が入りこんでいたんです。それもとても良いバランスで。
 生前の向田邦子さんとは何度もそのことについて話しました。自分たちはあの時代に、なにか大事な忘れ物をしたのではないだろうか。それを探しつづけたいねって。その心情は、向田さんと組んだ仕事の中核でもあったんです。ぼくらは時代の郷愁でつながっていた間柄でした。

 忘れ物のひとつが、言葉ということでしょう。当時はニュアンスをふくんだ言葉がたくさんあって、それを細やかに使い分けることで、人間関係も豊かになっていった。
以下略

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