熱い読書 冷たい読書 辻原登 マガジンハウス 2000年1月20日 第1刷発行 |
5編以外は「サンデー毎日」連載壱九九六年月2日号~1997年12月14日号が初出とのこと。
一般的な書評集かと思いきや、変わってます。紹介している本を離れ、別の内容を綴ることが多し。作者が小説家なればこそ。これはこれで面白し。
p35丸谷才一『横しぐれ』の紹介の中、日本語を、あるいは日本の文芸史そのものをミステリーの題材にする、こんな手法があったのか、と小説というジャンルの奥深さに当然となったものだ。という記述を読み、はっと思い当たったこと。
凄惨な殺人の出ないミステリーを書く小説家北村薫氏の作風は誰かに似ているところがあったなあとずっと思っていたところ、それは丸谷才一氏だったようです。違うか?
当然、丸谷氏の方は文芸かも知れないけれども。
その北村薫『夜の蝉』を紹介したページの締めくくり。
p25
主人公の女子大生〈私〉に評者の私が嫉妬したところがある。なにしろこの娘、やたらと本を読む。なのに栞(しおり)を使ったことがない。どこまで読んだかぜんぶ覚えていて、さっと元のページを開くことができる。
ここで、『覆面作家』シリーズの新妻千秋なら「えっへん」と言いそうな自慢をひとつ。例の主人公が栞を使わないというけれど、同じくこれまで使ったことなし。辞典類などを並べての調べ物は別として、読書で栞の必要性をまるで感じたことがない。どこまで読んでいるのか、めくればわかるのが当たり前だとばかり思っていたし、他の人も同じだとばかり。
中高生のころからずっと何冊かを同時並行で読む癖がついているけれど、中断したあとで頁をめくるとき、これまで迷ったことなし。
コメント