[NO.873] 我が心はICにあらず

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我が心はICにあらず(我が心はICにあらず)
小田嶋隆
ビー・エヌ・エヌ
昭和63年3月1日 初版発行
昭和63年3月15日 第2刷発行

 この本はもっと早く読みたかったのに、つい遅くなってしまった。手持ちの『パソコンは猿仕事』(小田嶋隆著・小学館文庫)の解説に本書から引用されている文章があまりにも面白く、ずーっと気になっていたので、本書の冒頭にある「パンチパーマの囁き」で読めたときには歓喜。

p9パンチパーマの囁き
「何を探してるの?」
 秋葉原の電気街をぶらついていると、店のお兄ちゃんが行く手をさえぎっていきなり話しかけてくる。
 たとえば、ここが秋葉原でなく、話しかけてきたのがパンチパーマでなく、私が私でないのならこの質問にももう少し答えようがある。仮に私が砂浜で桜貝を集めている傷心の男で
「何かお探しのものですか」
 と声をかけてきたのが妙齢の女性ということにでもなれば、私も確信を持って「未来を探しているのです」
 と答えることができる。すると彼女は花のように笑ってこう言う。
「それで、もうお見つけになって」(育ちが良いのだ)
 そこで私は、たっぷり二秒間彼女の目を見つめたあとにこう言う。
「たったいま見つけたところです」
 ところがここは秋葉原で、話しかけてきたのはパンチパーマで、私はといえば桜貝で癒せるような傷心は持っていない(赤貝でもやっぱりダメだ)。
「何を探してんの」
 といきなり尋ねられて、私には返すことばが見つからなかった。
「いえあのべつにあのあの」
 と口ごもりながら足早に行く私の背に向かって、パンチパーマはさらに
「ラジカセなら安くするよ」
 と追い討ちをかけた。
「ラジカセなんかいらない」と私は心の中でつぶやいた。「おれの欲しいものは金なんかじゃ買えない」
 一日中歩き回って、私は疲れていたのかもしれない。好調時なら、こういう甘ったれたことは決して考えない。
 経験のある人にはわかるはずだが、この街を一日歩いているとおそろしく地味な気持ちになってしまう。ここにはビストロやらブティックなんてもちろんないし、なによりも若い女の子が皆無だ。アベックもまずいない。友人同士やグループで歩く者も少ない。スピーカーコードやICチップ、基板や電磁石、リボンのついたルームクーラー、赤札のカラオケセット、そうした地味なものにじっとりとした視線を送っているのはまず例外なく、無口な、ひとり歩きの男たちなのだ。音楽や売り手の声はやかましいし、ネオンサインは華やかだ。しかしそのすべてが地味なのである。
 地味な華やかさ。
 これは骨身にこたえる。パチンコ屋でふとまわりを見回した時に突然に胸にこみあげてくるあの寂蓼感が、ここでは岩のように重くのしかかってくる。
 六本木や代々木公園を一人で歩き回るというのも確かにかなり淋しい(本当に淋しいんだ、これは)ことではあるが、自分が可哀相な分だけこっちの方が救いがある。
 話が横道にそれてしまった。ともかく金なしで手にはいるもののことごとくがくだらないというのが都市の第一原則だ。金で買えないものを求めて街を歩くのは見当違いだ。そういう奴は桜貝を拾いに行くべきなのだ(できれば日本海。冬の方がいい)。


 感慨深いものがあります。導入部の妄想も面白いけれど、「ラジカセなら安くするよ」というセリフ。いやあ、いましたいました。この手のお兄さん。よく駅前に。
 そして、何よりも時代を感じさせられたのが、「この街を一日歩いているとおそろしく地味な気持ちになってしまう」という描写。続く「なによりも若い女の子が皆無だ」にも。
 そうなのですよ。この時代のアキバが良かったのです。郷愁を感じるのは、この時代なのです。疲れたときにこそ、行きたくなるのがアキバ。それと神保町の古書店街。

 コラム集なのですが、当たり外れはあるにしてもどれをとっても面白し。まずなによりも、このタイトルでしょう。高橋和巳。それと巻末にある「キーワードINDEX」が不思議。日本語とアルファベットの2種類までもが完備されてます。いったいこのコラム集の読者で、アルファベットと日本語の2種類も用意されているインデックスを利用するような人はどれだけいるのでしょうか。
 小田嶋氏によるブログ偉愚庵亭憮録、愛読しているのですが、あいにくほとんど更新なし。