[NO.864] 奥付の歳月

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奥付の歳月
紀田順一郎
筑摩書房
1994年11月5日 初版第1刷発行

 本書成立について、著者自身の言葉があるので引用。
p269
あとがき
 書物の奥付をしみじみ眺めるのが、私のむかしからの癖である。子どもの時代が物資不足で、本が貴重品だったせいもあろう。本文はおろか奥付まで読み尽くさなければ、どうしても気がすまなかったものだ。当時は検印用紙が貼ってあったから、その意匠を眺めるのも楽しみの一つだった。

途中略
 このようにして本を読むということは、途中で立ち止まることの多くなることを意味する。しばらく巻を閉じて、三十年、四十年前の回想にひたっている自分に気づくことがある。関連する別の本を取り出して再読することもある。いわば、そうした気ままな読書の一部を整理したものが、本書である。
 もと「サンデー毎日」のコラムとして一九九二年四月十九日号から翌年五月九日号まで連載したものに、新しく三十回分を書き足して一本にまとめた。なるべく新刊をとりあげ、時事的な話題や季節感も重視したつもりである。
以下略
 検印用紙の意匠を眺める楽しみ、記憶にあります。しかも、再びその楽しみを今度は古本の中に見つけ出すなどという道楽に発展。悲しいかな増殖する本の置き場に困るので、片端から買うなどということは極力抑えるようにしていますが。著者のように岡山吉備に書庫を建てられればいいですねえ。

 「人間の痕跡」は『ボン書店の幻』(内堀弘著・白地社刊)についての内容。その結びが印象的。以前、読んだ記憶が鮮明に残っています。
p97
 問題は彼の窮状を救うものがなぜ現れなかったのかということだ。印刷機の傍らで夫婦が枕を並べて討ち死にしかかり、その傍らに子どももいるというのに、手をさしのべる人は一人もいなかったのだろうか。そこには他人の援助を受けることを潔しとしない鳥羽の性格も窺えるが、同時のこの種マイナーな出版人の位置というべきものが透いて見えるような気もする。ここが肝心なのであって、もし詩人どうしてあれば、この種の仲間の動向に気を配らないはずはないであろう。「どうも噂では死んだようだ」ですむわけもない。 作家の集合写真のキャプションには、「一人置いて」という表現がある。それはたいてい編集人か出版人であると、ある編集者の回想記で読んだ。いま、その一人の碑が建った。
 名文。たしかに、ここでいう「一人置いて」という表記には、疑問を感じていたもの。その理由に納得。重いことばです、一人置いて。
 ところで、上記でいう「ある編集者の回想記」とは? もしかすると......。
 そうして、再刊された同書(ちくま文庫版)に付された「文庫版のための少し長いあとがき」で、新たに明かされる内容を思いかえしています。

p130
 木村荘八といえば、なんといっても荷風の『墨東綺譚』の挿絵を描いた画家として残るであろうが、そのもう一つの代表作『新編東京繁昌記』が岩波文庫に入った(尾崎秀樹編)。
途中略
 その木村荘八は風俗画の大先達として、土佐出身の画家山本松谷をこよなく敬慕していたようだ。明治のグラフ雑誌「風俗画報」で活躍、江戸の面影を色濃く残す首都のたたずまいを忠実に記録した松谷の功績は、最近ようやく山本駿次朗の『明治東京名所図会』(三樹書房)および『報道画家 山本松谷の生涯』(青蛙房)などによって一般にも知られるようになったが、荷風や谷崎潤一郎らの郷愁をかきたて、それぞれの作品に大きな影響を与えていることも忘れられない。
途中略
 そのころは石版印刷だったが、画家自らほとんど全工程を手がけたそうで、松谷の絵から綿密な職人気質が感じられるのもそのためであろう。いかなる細部も手を抜かない。むしろ細部にこそリアリティーの神が宿っているように思われる。
 好例が「東京図書館乃図」であろう。後の帝国図書館だが、松谷は明治二十年代の末にその閲覧室に入り、満員の利用者が窮屈そうに本を読んでいる光景をスケッチしている。すべて和服で、なかには紋付き袴の者もいる。しかも男性ばかり。履き物が草履なのは当然だが、これは上草履なのである。

以下略
 石版印刷の絵。魅力的。しかも、描かれた中身が明治二十年代の帝国図書館。

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