三四郎の乗った汽車/江戸東京ライブラリー5 武田信明 教育出版 1999年2月4日 初版第1刷発行 |
ちょっと変わった本。著者は島根大学法文学部助教授(1999年当時)。「あとがき」によれば
p201
しいて言うならこの本は、三四郎が九州から乗り込んだ汽車(鉄道)が日本に導入された明治期を焦点とし、汽車に代表されるテクノロジーがどのような意味を持つのかについて記したものである、途中略
また、本書はほぼ書き下ろしの形で執筆下が、最初のきっかけは『東京人』第七八号に発表した「三四郎の乗った汽車」という二十枚ほどのエッセイである。以下略
だそうです。
巻末に掲載されている「引用文献一覧」が面白し。
目次
第一章 水のスケッチ
1最初の「西洋」/2『西洋事情』の絵/3彦蔵漂流記
第二章 均(なら)される言葉
1文字のざわめき/2「平明さ」をもとめて/3『和英語林集成』/4不ぞろいの活字たち
第三章
1漱石の乗った汽車/2汽車は見せ物だった/3線路上の死体/4窓の外が見えない/5車中の読書あるいは気詰まりな乗客
第四章 「学校」の「時間」
1標準時という思想/2「時」と「字」/3京都・一八七二年五月/4買えない教科書/5エッシャーの小学校
第五章 さまざまな上陸
1電信線に沿って/2「白鯨」と「黒船」/3漂民「サム・パッチ」
引用文献一覧
あとがき
p73
吟香はヘボンとともに上海に滞在していた一八六六(慶応二)年九月から翌年四月までのあいだ、上海を流れる呉淞江にちなんで「呉淞(ウースン)日記」を記している。途中略
何より眼をひくのは、日記の文体である。長くなるが、一部を引用しよう。途中略
口語的要素をたたえ、まさに平明なこの文章が、明治以前の書記言語であることに注目しよう。吟香の日記は、漢文体から言文一致体による続文体への移行という明治の時間を一気に無効化してしまう。以下略
ここで引用されている吟香こと岸田吟香(四男が画家の岸田劉生)の破天荒な人生を生き生きと写している日記の文体のなんと躍動していることか。
p180
『白鯨』のエイハブ船長が眺めるのは日本の海図である、という。
〈エイハブは、彼の前に、東洋群諸島の一般海図と、もう一枚は、日本群島の長い東海岸――ニフォン、マツマイ、シコケをしめす分図とをひろげていた。〉
なんともはや。すっかり忘れていたこと。
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