[NO.832] はじまりはいつも本/書評的対話

hazimarihaitumohon.jpg

はじまりはいつも本/書評的対話
米田綱地 編著
パロル舎
2006年4月20日 第1刷発行
再読

p300
井家上隆幸さんに聞く......本という辞書・事典
歴史意識なき時代に本と人の芋蔓をたぐる愉悦
        (二〇〇四年四月一〇日号)
 究極のところ、歴史意識の問題だと思うんですね。僕は歴史が好きだから、何事も縦軸で見ちゃう。縦軸で見るから、人間もずるずると繋がっていく。横からすぽんと切って見るだけだったら、一冊は一冊だし、一人の人間は一人の人間であって、その関連性なんてなくなるじゃないですか。
 歴史意識の希薄化は、やはり全共闘以降ですよ。全共闘が何をやったかというと、そのいちばん大きいことは、自分たちの前の世代の言ってきたことが、理屈であれ何であれ、すべて間違っていると否定したことだと思う。で、それ以後の連中は、若くなればなるほど、全共闘が否定したものをいまさら学ぶ必要はないと、みんな学ばなくなっちゃった。そうすると、何が抜け落ちるか。いうまでもなく、歴史意識ですよね。
 その結果がいまのジャーナリズムであり、ノンフィクションがだめになったのも、僕はそれだと思うんですよ。事柄は取り上げるけれども、大きな歴史という流れの中に、その事柄がいったい何を意味するのかという位置づけがない。
 そしていまは早い話、「戦後民主主義は虚妄であった」というその一言でもって、戦後なんて何だよって、全部否定的じゃないですか。だからよけいに、保守反動的、右翼的な論調がまかり通るんだと思うんですね。
 歴史意識がすぽっと抜けたから、雑誌なんかも全て、今の現象をただ現象として追っかけるだけになってしまった。つまり、無力になったわけです。

 井家上氏の言わんとすることって。歴史の中での位置づけ。今はもう無くなってしまったという。ふーむ。

編者米田綱路さんの肩書は「書評ライター」と書かれる。けれども、こんなに硬派(そんな呼び名がすでに死語だったりする)な書評ライターは、ほかにいない。

お生まれが1969年だと知って驚きました。予想よりもお若かい。

本書の出版社が「パロル舎」だということに気がつきませんでした。

桑原弘明さんの『スコープ少年の不思議な旅』がパロル舎でした。この2冊、あまりに傾向の違うことに驚いています。