東京近郊ぶらり文学散歩 山本容朗 文藝春秋 1994年4月1日 第1刷 |
それにしても山本氏、よく食べること。健啖家という言葉がありますが、年齢を考慮するとなかなかなもの。ご自分でも書かれていましたが、ほぼ毎回、メニューは鰻。よく胃が保つなと、あきれるほど。蕎麦と鰻を必ずといっていいくらい。そのかわり、洋食は食べず。
目次
■東京近郊ぶらり文学散歩
今も昔も作家ゆかりの街/鎌倉
古き良き街へ、一日の行楽/寄居
三十年ぶり、湘南の味/大磯
風と川と歴史の街へ/古河
東京湾岸川のある風景/行徳・浦安
詩人のふるさと味の街/前橋
水の郷へ、今昔旅模様/土浦
旧品川宿、海岸通り/品川
失われた町に文士の面影をさがす/小田原
川の街の風情、この鰻にあり/佐原
蛇姫様の城下町/烏山
何回も、行きたくなる街/千住
■東京近郊の「小さな休日」
歌われ、綴られる港町/横浜
利根の川風に吹かれて/羽生・館林
いわしと醤油の香りにつつまれた/銚子
"日光おろし"に育まれて/宇都宮・栃木
江戸から十三里、蔵造りの街/川越
多摩川をさかのぼって/羽村・青梅
水戸街道を遡って/牛久・流山
箱根路を越えて/三島・沼津
天城を越えて/湯ヶ島・西伊豆
板東太郎が育んだ街/前橋
甲斐路を巡って/河口湖・甲府
潮風にアメリカがにおう/横須賀・三浦
■好きなのは食べ歩き
蒟蒻の話
今は昔八八幡詣六十キロ紀行
甲州味の文学散歩
東京下町、味の文学食べ歩き
江戸前そばの名店巡礼の旅
避暑地で生まれた文学
長野盆地を行く
ラーメンの町・荻窪を歩く
"六阿弥陀"詣に挑む
文士たちの墓碑めぐり
小江戸味めぐり
p135
島崎藤村には、「利根川だより」といった紀行文がある。
私は、これを『藤村文集』(大正五年春陽堂刊)から転載したアンソロジイで読んだので、初出が明らかでない。手元にある藤村年譜にも記載がない。この旅で、藤村は銚子から、利根川を上り、千葉県布佐にいる柳田國男を訪ねている。そんなことから推定するとこの藤村の銚子行は明治三十一年四月と考えるのが妥当のようだ。
明治三十一年というと、前年、処女詩集『若菜集』が世に出、この年六月、詩文集『夏草』が刊行されるといったように詩人・藤村が動き始めた一時期なのである。
「利根川だより」は美文調だが、若々しい作者の胸の鼓動が聞こえてくるようである。
「銚子行の列車に乗りしは本所停車場の時計二時をうつころなりき」で始まるこの藤村の銚子への旅は雨であった。
銚子の「大新」という旅館に宿泊した彼は、「波の音枕にひびきて夜の夢もむすばず」とか、「風強ければ海づきのかたは雨戸とざしたままなり」とか記述している。
この時、藤村は二十六歳。二十八歳の徳富蘆花が銚子へ旅をしたのは、明治二十九年十一月であった。まだ、総武鉄道は開通していない。
蘆花は日本橋、蠣殻町の河岸から銚子行の汽船に乗る。
藤村が銚子へ着いたのは夕暮れである。蘆花の乗った午後八時の便は江戸川を上り、利根川に出て、取手の鉄橋をくぐり、木下(きおろし)へ出る。行程は丁度半分、「船の弁当を買って朝餐を喫(きつ)す」とある。その所要時間は十六時間である。
木下河岸は、江戸時代に、香取・鹿島・息楢(いきす)の三社参詣や、銚子遊覧で名高い「木下茶船」の出発点であった。
蘆花より七十一年前の文政八年一八二五)に、三十二歳の渡辺崋山が銚子に遊んだことはよく知られている事実で、それは持ち帰ったスケッチに後年淡彩を施して仕上げたといわれる『四州眞景』という写生画に残されている。
四州とは、この時、華山が旅をした武蔵、常陸、下総、上総で、いわばこれは絵ごころの秀れた彼のスケッチ集とみていいだろう。しかし、私は、このシリーズの絵で、「松岸より銚子を望む景」、「常陸波崎より銚子を望む景」といった銚子周辺に材をとった七枚の絵にひかれる。
華山は江戸から行徳まで船、そこから木下街道を、八幡、鎌ヶ谷、白井ときて一泊。ここから大森、木下河岸と出て、茶船で潮来へ出ている。
藤村の書いたのは「利根川だより」というタイトルが挙げられているけれど、徳富蘆花の作品名が書かれておらず。蛎殻町から蘆花が乗船した船は、きっと通運丸だったことでしょう。
※ ※
著者の文体は独特で、慣れないうちは読み間違いをしそうになること2度。
p236
百花園は紅梅、白梅の花ざかりで、かなりの人出だ。日曜のせいか。
ふと、安藤鶴夫の「向島百花園」というエッセイを思い出す。私は茶屋の前の腰掛けで一服している。この店では甘酒を売っている。
「百花園は、いま、さくらの盛りである。れんぎょうがまだ地上をいっぱいに支配して、茶店の前には、紅梅、白梅もちらちらしている」
この百花園の描写は、あと一ヶ月ぐらい後になるか。
この引用の中、私は茶屋の前の腰掛けで一服している。という「私」とは、いったいだれのことなのか? 最初、てっきりアンツルさんのことだと思ってしまい、混乱。あとから読み直してみて、山本氏が自分自身を指して「私」と書いているのだとわかった次第。
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