[NO.798] 時の峰々

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時の峰々
川原栄峰
南窓社
平成16年10月20日 発行

 岩本素白氏の号「素白」の由来が載っているというので頁を開いてみると、なるほど。「素百」の「百」から「一」を引いたのが「白」なのですねえ。なんともはや。
 P62「一文(いちもん)足りない」(初出『日本文化会議・月報』第三七号、一九七五年五月。)に出ています。

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【以下、本書からの引用】

P62
一文(いちもん)足りない

 『岩本素白全集』第一巻が春秋社から出た。
 素白岩本堅一という人、知る人ぞ知る。明治、大正、昭和の三代にわたって麻布学園、早稲田大学、跡見学園で国文学を講じ、特に随筆文学を研究、自らも随筆をものし、昭和三十六年、七十八歳で没した。
 全集第一巻のしおりやおびには「明治生まれの東京っ子の清廉潔白」とか「気品の清らかな」「気むずかしく純粋をきわめ」とか、「生粋な都会人」「異常なほどの潔癖家」「古武士を思わせる」「古陶のような渋い光彩を放つ」とか、「過ぎ去った明治・大正の東京の市井の生活の姿、東京周辺の自然の風物をこよなく愛した」とか「孤杖飄然(こじょうひょうぜん)の散歩者」とかいう言葉があっちにもこっちにも見える。 - ひとつひとつ素白先生の人と作品を言いえて妙である。
 私自身は、まだはたちにもみたないぽっと出のがさつな田舎者だった頃(今でもそうだが、今よりもっとずーっと、という意味)、早稲田で岩本先生に二年間「国語」を教えていただいた。私は瀬戸内海に近く生まれ育ったので、「生粋な都会人」岩本先生の「潔癖」を畏敬はするが、これに文学的共感(?)を抱くまでには到底いけないし、まして、滅びゆく「明治・大正の東京」の風物などというものに愛惜の情などひとかけらもおぼえないから、せっかくの先生の「古陶のような渋い」随筆を読んでも、どこまでわかっているのか自分でもおぼつかない。
 その私が、岩本先生について何かを言う資格など全くないはずなのだが、それがじつはそうでないのではなはだ困っている。ながねん胸につかえていることが一つだけあるので、思い切ってここで吐露させていただこう。ことは先生の雅号にかかわる。
 素白の「素」の字は簡素・質素のイメージに、「白」の字は潔白、純白のイメージに親しく、したがって「素白」という号はなんとなく「簡素潔白」といったニュアンスで受けとられるらしく、じじつ全集のしおりやおびに見られたように、大方はそのように受けとっているらしい。それはまちがいではないが、しかし、それでは、草葉の陰から素白先生に笑いとばされるのではなかろうかと私はおそれる。
 なにしろかれこれ三十五年も前のことだから私の記憶もさだかでないし、それに先生の含蓄あるものの言い方をまねることなど私には到底できっこないから、がさつな私の言葉に翻訳して言うが、天地神明に誓って、先生は(多分、教室で授業中に)次のように言われた。「むかし吉原へ通う遊び人の中で、酒もさかなも歌舞も音曲も何もいらない、ただもう女遊びだけ(先生はこんながさつな言い方はなさらなかったはずだが、今はご容赦!)という素寒貧(すかんぴん)の連中は、かっきり百文(ひゃくもん)握っていけばよかった。こういう連中のことを人呼んで素百(すひゃく)といった。ところが私はその百文にもう一文足りないので、素白なのです。」 (百ノ字カラ一番上ノ一ヲ削ルト白ノ字が残ル。)
 - とすると、「素白」の号はすんなりと「簡素潔白」につながるのではないのである! これはいわばウルトラC、二つも三つもひねり(「ひねり」に傍点)がきいている。出所は吉原なのだ。
 素白先生にごく親しかった何人かの人にこの話をしたことがあるが、みんな、へーそうかな、そんな話聞かなかったなーといったような調子で、どうも門外漢の私の言うことなどとりあげようとしてくれない。べつにくやしいわけでもなく、まして、青史にとどめてほしいと思っているわけでもないが、私としてはちょっぴり不服である。
 もしお疑いのむきがあるなら、ちょっと考えていただきたい。そもそもこんないい話(「いい話」に傍点)を私ごとき(「私ごとき」に傍点)が勝手に(自力で)作れるはずがないではないか! だからこれはほんとうである!
 - なんだかデカルト風の「論証」みたいで恐縮だが、ほかに立証のすべがない。
 これと同時だったか別の機会だったかは忘れたが、先生は「文学をやっているとくるわ(「くるわ」に傍点)のこともわかっていなければならないから、私はときどきへんな所へも出入りするが、妙な所で皆さんとばったり会ったりするかもしれない、その節はよろしく」という意味のこともおっしゃった。「その節」も先生は多分「素百」にもう一文足りない「素白」なのだろうからたしかに「簡素潔白」(!)なのだろうとは思うが、しかしこの一文足らず、ひとすじなわではない。
 全集の続巻には未刊のものも収録されるそうだから、あるいはどこかに「素百」の話が載っているかなと多少の期待はよせているのだが、あの先生のことだから、それに自分の雅号にかかわることだけに、ついにお墓の中までひそかに持って行ってしまったかもしれない。多分そうだろう。
 和服で来られたとき、授業中にさりげなく羽織の紐を解いたり結んだり......。結びあがるたびに形が違っている。私はただもう驚いて、耳で講義を目で羽織の紐を追った。それからだいぶたっていつか、先生、羽織の紐にもいろいろ結びかたがあるんですね、驚きました、と言ったら、あの紐はね、日本橋の○○屋で作らせたもので、むかし刀のつかに巻く紐を作っていた店だけあって、いいものができますよ ー とのこと。つまりかたち(「かたち」に傍点)よりもまずもの(「もの」に傍点)をほめなさい (ワカツテナイネ!)というわけである。先生とことをかまえるといつもこんなふうに必ずこっちの負けであったから、いま「素百」と「素白」との故事来歴を自信をもって(「自信をもって」に傍点)書きはしたが、私はさっきからどことなくうすっ気味が悪くてしかたがない。カワハラクン、アナタ、アイカワラズ、ワカイデスネ!
(一九七五年)

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一文足りない 『日本文化会議・月報』第三七号、一九七五年五月。