水郷汽船史/ふるさと文庫 白土貞夫、羽成裕子 著 筑波書林 1984年1月15日 第1刷発行 |
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霞ヶ浦・利根川水系での汽船興亡の過程を論述した発表は、通運丸関係を除けば非常に少ない。そのうえ昭和期の動向は、無視されている場合が多い。小稿は、百年に近いこの水域での定期船運行史を初めて明らかにしようと試みたものであるが、以下略
と「あとがき」にあるとおり。エッセイや訪問記等と比べ、図表も多く専門的です。
著者の白土氏は郵便局に勤務、羽成氏は小学校の先生。
序
利根川水系を対象とする水上交通史の研究は、これまでかなりの人がてがけてきました。とはいえ、その内容は明治前期までの段階にとどまる場合が多かったように思われます。
交通史研究者の問では、長い間、勝手な思いこみがありました。河川湖沼を対象とし、またそのために経路が限定される内陸水上交通は、文明開化の象徴として登場した鉄道との競争にもろくも破れ、廃絶していったと、決めこんできたのです。しかしそのことが具体的な実例をふまえた研究によって得られた見解でなかったことは、渡辺真二さんによる高瀬船を対象にした先行研究があるにしても、この書物を読んで頂ければ、より具体的に理解しうると思います。
歴史の研究は、時系列を忠実にたどりながら、できる限り原資料を用いて行うのをよしとするはずなのに、ある時点での資料だけにたより、しかもその状態で前後を推しはかろうとする乱暴な手法が、明治以降の利根川水系水上交通史研究では、これまでなされてきたのですが、そうした研究が、いかに事実と相達する記述をこれまでになしてきたかが、この書物を読めば、判ってくるはずです。
白土さんによる統計書、時刻表の注意深い分析、羽成さんがなした明治中期から昭和十年代までの『船名録』悉皆調査は、新事実の数々を掘りおこしてくれました。
私は盛夏の一日を、白土さん、羽成さんと一緒に、汽船荷客扱所の跡を訪ねて、歩いてみたことがあるのですが、大変よい勉強になったことを覚えています。業務をおえてから数十年が経過しても、外輪船の写真、業務日誌を保存される旧家があること、汽船会社の名を記した看板、待合室にかけてあったという柱時計を、眼にすることもできたのです。
業務に従事した経験のある人たちが、老人になられたとはいえ、往時の状況をていねいに説明して下さった事実にも、深い感銘をうけました。
いまの時点でこの研究がなされなかったら、近代での利根川水系汽船交通史は、虚構だけが後世に伝えられることになってしまうことでしょう。
昭和五十八年七月
茨城大学教授(教育学部)
中川 浩一
目 次
序
第一章 汽船の出現と発展
一 利根川下流域の地形 - 水郷
二 蒸気船の出現とその過当競争
三 内国通運と銚子汽船の発展
第二章 汽船交通の推移
一 陸上交通の発達と内陸水運
二 河川法の成立とその影響
三 汽船交通の衰退
第三章 観光手段としての汽船交通
一 観光ブームと遊覧船の出現
二 水郷汽船の成立とその推移
三 水郷汽船の三大事件
第四章 蒸気宿と水運遺跡
一 汽船荷客取扱所の業務形態
二 汽船荷客取扱所の営業概況
三 水運遺跡を訪ねて
あとがき
資 料
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