美の死/ぼくの感傷的読書/ちくま文庫 久世光彦 筑摩書房 2006年3月10日 第1刷発行 |
谷川俊太郎氏の詩『ベートーベン』の最後の一行に「かつこよすぎるカラヤン」というのがありますが、久世氏、かっこよすぎ。これじゃ、近寄りがたい存在というだけのよう。
下のNO.768解説での嵐山氏と正反対に、妙に小林秀雄を持ち上げているところに違和感。途中に挿入されている「そして、芝居は終わった――狂言作者としての小林秀雄」は読みでがあったけれども。その中で紹介している田中陽造作のシナリオ『ゆきてかへらぬ』で登場する例の3人、中原中也と長谷川泰子をはさんでの小林秀雄は面白し。しかし、なあ。
もっとも、久世氏は妙に先輩を立てるところがあるようで、森繁久彌については「師」だもんなあ。
p262
(短歌について述べている中で)
次は声に出して読んでみて、気持ちがいいからだと思う。これは何も短歌や俳句にかぎらず、普通の文章だってそうなのだが、日本語の嬉しい特性は、目で見て美しく、耳で聴いて快いところにある。言葉のリズムというものは、それだけで人の心を目覚めさせ、揺り動かす力があるのだ。その典型が短歌なのだ。
傑作だったのが〈ミナト式〉。昭和十年代の新聞広告で有名だったとのこと。詳しくは〈ミナト式〉をクリックし、リンク先をご覧あれ。そのころは、どんな女学校にも、かならず一人〈ミナト式〉という教師がいたと聞く。なんともはや。ここで疑問が。硬そうな髪をキチンと七三に分けてポマードで固めた、丸眼鏡の男 というのはどんなのか、見たいもの。
さすがですね。ネット検索をかけると、出て来ました。ここ。日曜研究家の串間氏サイト。残念ながら出典が明記されていません。他にはここ。後者には「大阪朝日新聞」「昭和 12 年 4 月 30 日発行」と明記されているものの、サムネイルを拡大すると、肝心な顔は出ておらず。
それにしても、そのキャラクターに福田和也はそっくりなのである。と続ける著者の筆には恐れ入りました。
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