[NO.707] ビートルズの優しい夜/新潮文庫

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ビートルズの優しい夜/新潮文庫
小林信彦
新潮社
昭和57年6月15日 印刷
昭和57年6月25日 発行

 すっかり忘れていたこの小説を読み返してみようと思ったきっかけは、『ミート・ザ・ビートルズ』(小林信彦著・新潮社・1991年9月15日発行)p252「作者ノート」の中に
 こ の小説で、〈ビートルズという存在〉に興味を抱かれた若い読者は、「ビートルズの優しい夜」(新潮文庫)を手にとって欲しい。新旧のカルチュアが火花を散 らす時代が浮き上がってくると思う。――つまり、四人の来日を外側から(「外側から」に傍点)シリアスに描いたのが「ビートルズの優しい夜」であり、より 内側から(「より内側から」に傍点)コミカルに描いたのが「ミート・ザ・ビートルズ」なのです。
という文章があったから。

 「小林信彦氏は果たしてビートルズが好きだったのだろうか?」と疑問に思っています。いわゆるカルチャとしてではなく、「音」として。
 本書中の4作目「ラスト・ワルツ」なんぞ、カルチャとして捉える以外(出演しているバンドの「音」など)には興味がなかったのではないかと思ってしまう書き方です。

 こりゃ、どうしてなんでしょう? 
(1)もともと洋楽などには興味がない? 
(2)年代としてロックには興味を抱けなかった? 

 わかりません。ビートルズにも、「ラストワルツ」に出演しているザ・バンドにも、他の出演者たちにも、ワクワクした経験しかないので、小林氏の彼らへの向かい方に違和感を感じ、疑問がわいてしまいます。

 よかったのが「踊る男」。この時代のTVを見ていた者には、風間典夫が萩本欽一だと、すぐにわかるでしょう。人気が無くなってから、再度、登り詰める 話。面白いです。しかし、風間氏本人の人柄が魅力的だからなのでしょう、この小説が面白いのは。もちろん、作者による創作もあるのでしょうが、こんな人物 が実在していることが、面白いですねえ。

 そういえば、上記、音楽へのさめているような感じに対して、小林氏が笑劇へ向ける眼差しには、「熱」を感じます。

p153
 顔を見せただけで人々が笑い出すのは、危険な状態だ、と修は考えていた。
 彼の経験では、番組関係者や有識者が、どうも面白くない、とか、もう終りだね、と見放した時点では、タレントの人気は決して落ちなかった。だから、ぶつぶつ言いながらも、関係者はひきずられて、ついてゆくのだ。
 没落は、ある日、突然、くるのだ。大衆は熱狂しつづけたあまり、ふと自分の熱狂ぶりに嫌気がさすのであろうか。それは、有識者が見放してから、半年ないしは数年遅れるのが常であった。
 テレヴィのなかった時代には、人気の衰退は、もっとなだらかなものだったのであろう。だが、現在では、殆ど垂直ともいえる落ち方を示すのだ。