[NO.706] 萩原朔太郎ノート『ソライロノハナ』私考

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萩原朔太郎ノート『ソライロノハナ』私考
小松郁子
桜楓社
平成元年9月1日 初版印刷
平成元年9月5日 初版発行

 表紙の絵は、筆者が草野心平氏から譲り受けたものだそうです。

目次
Ⅰ 『ソライロノハナ』私考
 『ソライロノハナ』
 「二月の海」
 短歌にみる朔太郎の初恋
 朔太郎と百人一首
 「夢みるひと」考
Ⅱ 腰越九八五番地
 ――エレナとの出あい
 一枚の絵葉書
 エレナの七里ヶ浜
 腰越九八五番地
 五月の歌
 二宮力蔵さんに会う
 一枚の旧公図
Ⅲ エレナの瞳
 エレナの瞳
 朔太郎とエレナ

 年譜 初出
 あとがき

p6
『ソライロノハナ』
 こんど近代文学館から、萩原朔太郎の手づくりの歌集『ソライロノハナ』が複刻された。たて十五センチメートルたらず、横十一センチメートルあまりの、二 つ折りにした紙をソライロのリボンでとじた小さなお帳面風とでもいうような可愛い歌集である。表紙に「ソライロノハナ」と右から左に横がきし、 「1913」と左から右によこがきしてある。裏表紙には赤鉛筆で色をつけた豆つぶはどの天とう虫が、真中部分やや上かげんに一匹かかれていて楽しい。
 楽しいと思ってみていたら、以前だしたわたしの『鴉猫』の扉にかいた「カミキリ虫」が思い出された。ゴミのように小さくして貰うつもりのスケッチは、現寸大より大きくなっていて
「あれ、なーに? ゴキブリみたい」
といわれた。清少納言ではないけれど「ちひさきものはみなうつくし」なのである。
 明治三十四年から大正二年四月までの歌が「年ごろ詠み捨てたる歌凡そ一千首の中より忘れ難き節あるもの思い出多きもののみを集め」たとして三百九十一首 収録されている。「若きウェルテルの煩ひ」百一首にはじまり、「午後」七十三首、「何題へ行く」百八十六首、「うすら日」三十一首という風に重なりあいな がら一応年次順にまとめられている。
 これら歌群の前に「自敍傅」(一九一三・四)と、歌物語風の「二月の海」(一九一二二)がおかれていて、この「二月の海」は歌数の一番多い「何處へ行く」と呼応している。朔太郎かぞえ十六歳から二十八歳までの作品ということになる。
 『ソライロノハナ』の現れた時の印象は、まだなまなましい。
 萩原葉子さんの『蕁麻の家』が出て、朔太郎生誕九十年祭の何よりのおいわいだと思い、それが賞を貰って二重のよろこびをひとごとながら味わわせられていた頃のことだからだ。
 『ソライロノハナ』がみつかったという葉子さんの電話に、「ソライロノハナ」は、どこかでみたような気がすると、全集をめくっていたら、やはり、習作集第八巻(一九一三・四)の三番目に
  寫眞に添へて
  歌集「空いろの花」の序に
と記されて出ていた。純情小曲集愛憐詩篇に収められた「女よ」の記されている前である。
  かはたれどきの薄らあかりと
  空いろの我(ア)れの想ひを
  だれ一人知るひともありやなしや
  廢園の石垣にもたれて
  わればかりものを恩へば
  まだ春あさき草のあひだに
  蛇いちごの實の赤く
  かくばかり嘆き光る哀しさ                       (一九一三・四)
下段――初出欄というのもおかしいが――をみると一行目が「たはかれ」となっていたことがわかる。この作品が『ソライロノハナ』の巻頭詩である。

   空いろの花

  たはかれどきの薄らあかりと
  空いろの花のわれの想ひを
  たれ一人知るひともありやなしや
  廢園の石垣にもたれて
  わればかりものを恩へは
  まだ春あさき草のあはひに
  蛇いちごの實の赤く
  かくばかり嘆き光る哀しさ
                        (一九一三・三)
石垣にもたれてしゃがんだ詩人のマント姿の写真の下にかかれている。裏面には序のような短文があり「一九一三・四」と記されている。
 作者のつけた日付をみる限り『ソライロノハナ』の「空いろの花」は習作集の「空いろの花」より早く記されたもののようにみえる。異同はごくわずかだけれ ど、どちらも「かはたれ」が「たはかれ」となっており、この「たはかれ」は、『ソライロノハナ』の「自敍傅」の中にもう一ヶ所みられて、この思いこみのま ちがいが、いかにも朔太郎らしい気がしてくる。
 「奥附なし、ノンブルなし」と全集の『ソライロノハナ』の解題にも記されているが、奥附の部分は、誰かが意図してきりとったように、鋭利なはきみようの ものできりとられていたのである。それが突然半世紀以上もたって出現するまでのこの歌集の辿った路をミステリアスなものに思わせられたものである。そして この『ソライロノハナ』を昭和七年手もとにおくことになったというひとが、いまなおその出所をあかさないというのも、いっそうミステリアスな気がする。

 「新資料47」(栄次宛書簡、明45・6・3)には次のように記されているところがあってそこで自分も晶子を捨て、栄次兄の賞賛せられる服部躬治や、金子薫園の詩風に習う事に勉めた(此の事は古い私の詩集の序にかいてある)

 『ソライロのハナ』がそれにあたるとは思われないから、さらに以前小冊子がつくられていたように思われ『ソライロノハナ』は処女歌集ではなく、改訂増補版という風なものかもしれないと思わせられもする。