萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや 写真・詩 萩原朔太郎 エッセイ 萩原葉子 萩原朔美 新潮社 1994年10月15日 発行 |
このような写真集が出ていたことを、これまでまったく気がつきませんでした。しかも、すでに1981年には故郷の上毛新聞社出版局から『萩原朔太郎撮影写真集』という本まで出ていたとは。
ハイカラ好きな朔太郎が「愛玩した」のは「佛蘭西製のステレオスコープ」なのだそうです。これは明治初年に既に輸入されており、朔太郎の時代には友人たちも軽蔑して見向きもしない存在だったのだとも。手品を愛した詩人が好んだのが立体写真だったというのは、なにやら納得できます。
ステレオカメラで思い出したのが、赤瀬川原平氏。赤瀬川氏がカメラにのめり込むきっかけとなったのが、やはりステレオカメラだったといいます。そこになにか共通するものがあるのでしょうか。
お孫さん朔美氏も引用している「僕の寫眞機」と題した朔太郎の文章があります。
p83
とにかく僕にとつては、このステレオスコープだけが、唯一無二の好伴侶だつた
のである。そしてこれには僕自身の爲に必然の理由があるのだ。
元來、僕が寫眞機を持つてゐるのは、記録寫眞のメモリイを作る爲でもなく、また所謂藝術寫眞を寫す爲でもない。一言にして盡せば、僕はその器械の光學的な作用をかりて、自然の風物の中に反映されてる、自分の心の郷愁が寫したいのだ。
p94
萩原朔太郎撮影の写真は前橋文学館に96点所蔵されており、その内訳は、ガラス乾板(ネガ8・2×10・7cm他)、立体写真用ガラス乾板(ネガ4・ 4×10・6cm/ポジ4・0×10・6cm)、フィルム(ネガ)、立体写真用台紙付プリント(4・5×10・5cm)、オリジナルプリント(青焼き写真他 10・3×7・8cm他)などである。また自製の歌文集「ソライロノハナ』(28頁)は日本近代文学館に所蔵されている。
撮影年は不明のものが多く、大半が大正から昭和にかけての時期に撮影されている。タイトルも*をつけたもの以外は一不明であり、『萩原朔太郎撮影写真 集』一九八一年上毛新聞社出版局)に収録されているものについては、野口武久氏と萩原朔太郎研究会によってつけられたタイトルを参考にし、他は便宜上つけ たタイトルであることをお断りしておく。
収録にあたっては、全作品を複写し、ガラス乾板作品については、複写フィルムからプリントを作製した。複写・プリントは松藤庄平(新潮社写真部)が担当した。
また詩の引用については、『萩原朔太郎全集 第一巻』一九五九年 新潮社)に、随筆は『萩原朔太郎全集 第五巻』一九六〇年 新潮社)に拠った。
[協力]前橋文学館
日本近代文学館
野口武久/萩原朔太郎研究会
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