[NO.508] 知的〈手仕事〉の達人たち/本とコンピュータ叢書

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知的〈手仕事〉の達人たち/本とコンピュータ叢書
編集「本とコンピュータ」編集室
大日本印刷株式会社ICC本部
2001年10月1日

目次

かつてぼくたちはガリ版名人だった/鎌田慧 佐藤慶
地図とともに旅に隠れる/森まゆみ 吉増剛造
いまでも速記や対談整理がやりたい/長部日出雄 宮部みゆき
カードシステム事始め/多田道太郎 鶴見俊輔

パソコン生活を語る/水上勉
土地の言葉がもつ力/池澤夏樹 萱野茂
漢聲―台湾生まれの伝統文化データベース/呉日雲 黄永松

詩人がインターネットにハマるとき/清水哲男 鈴木志郎康 巻上公一
この小説は本にはなりません/井上夢人
絵本のかなめはモンタージュである/長谷川集平
偽漢字をつくる/徐冰
書体の力/平野甲賀

あとがき――津野海太郎

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あとがき
 コンピューターを「手の仕事」のための道具として考える。コンピューター以前の道具と無縁のものとは考えない。『季刊・本とコンピュータ』は、そうした 観点からする記事を、対談や座談会やインタビューのかたちで、いろいろ掲載してきました。それらの記事を一冊にまとめたのが本書です。
 コンピューター以前の手仕事に習熟した人は、そうでない人よりも、しばしば巧みにコンピューターという新しい道具をあやつることができる。そんな例をこ れまでに私は何度も目にしてきました。たとえば、長年、活字組版の仕事に打ちこんできた中年かそれ以上の印刷職人諸氏は、若いオペレーターなどよりも、は るかに速く、あざやかにコンピューター組版の技術を自分のものにしてしまいます。水上勉氏の場合もそうです。もし水上さんが、野菜づくりや料理や竹紙や骨 壷製作などの「手の仕事」を好み、それらの作業を日常的に、なんなくこなしていく人でなかったとしたら、あんなにも率直にコンピューターとつきあうことは できなかったのではないでしょうか。
 本書に収録した「ガリ版」対談を読んだ若い読者が、「私はガリ版とはなにかを知らなかった。そうか、昔はみんなああやっていたのか。今度から私も佐藤慶 さんのように、いろいろな活字体を勉強してみようと思った」という意味の感想を寄せてくれました。いま自分はDTPをやっているが、昔だったらかならずガ リ版をやっていたにちがいない、という青年もいました。この対談を掲載した号の「編集後記」に、私も以下のように書いています。
 ――十数年まえ、たまたま新宿裏の飲み屋で隣あわせた佐藤慶さん(初対面だった)のガリ版話に感動した。ちょうどそのころ、鎌田慧さんに「ガリ版はエジ ソンが発明したんだぜ」という話をきいた。私にとっての夢の対談を、この雑誌で実現できてうれしい。ガリ版とコンピュータになんの関係があるのさ。そう平 気でいってしまえるような人のデジタル談義を私は信用したくない。
 コンピューター以前の「手の仕事」とコンピューター以後の「手の仕事」とを、お互いに無縁のものとして捉えるのではなく、両者のあいだに強固な連続性を みいだすべくつとめる。この意図は、さいわい多くの読者につよく支持していただけたようです。新しい月がのぼるために、古い月には早々に沈んでもらわなく てはならない。というようには、なかなかものごとは進行しないようです。本とコンピューターとの関係もまたしかり。そう私たちは考えています。 津野海太郎

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 初っぱなに出てくる鎌田慧氏と佐藤慶氏の対談が一番。鎌田慧氏とガリ版というのは、いかにもという感じですが、あの俳優佐藤慶氏とガリ版というのが意外でした。小沢昭一氏のエッセイに出てくる佐藤慶氏の姿とは違います。イラストは内澤旬子氏。→(別サイト版には画像添付済み)