蘊蓄紀行 銅像めぐり旅 清水義範 祥伝社 平成14年4月20日 初版第1刷発行 |
初出
月刊『小説NON』(祥伝社刊)掲載 シリーズ「銅像のある街」
p13
まず銅像を見るところから始めて、次にその街を歩いて風情を肌で感じて、その上で銅像の人物について少し勉強してみる、というやり方でいこう。
歴史的人物論が主眼ではなく、お国柄拝見エッセイに歴史人物をからめるということだから。
というのが基本方針のようです。
事前にネットで下調べしてくれる旅行好きの奥様との道中記。よく歩きますね。
特に一章を挙げるとすると、「寄り道 ティムールとサマルカンド」でしょう。国内の旅行と変わらぬ視線で出かけていきます。歴史的変遷や現在の街の様子も面白い。
それにしても、「チンギス・ハンやその子孫たちモンゴル人は、街を壊し、金品を略奪するだけで、決して自分たちの町は造らないのだ。遊牧の騎馬民族で、自分たちは天幕に住み、どんどん移動するのだ。都を築いたり、宮殿を造ったりしないことでは徹底している。」というのはすごいことだったのですね。知ってはいても、こうしてサマルカンドをからめながら説明されると、具体的に理解できます。
清水氏は、自分なりに理解でき、納得し、イメージできるようになるまで、あちこちへ足を運びます。したがって文章にされたときには、著者が理解した人物像や歴史観がすんなり頭に入ってきました。
目次
旅はじめ 伊達政宗と仙台
その街に独特のたたずまいは、どこからきたのか?
意外や意外、銅像の主がすべてご存知だったのだ。
二の旅 坂本龍馬と高知
黒潮の地を見回せば、あそこもここも銅像ばかり。
人材が豊富だからか? それとも銅像好きなのか。
寄り道 ティムールとサマルカンド
日本人には、まだ馴染みの薄い国・ウズベキスタン。
オアシスの街には圧倒的迫力で英雄像が屹立していた。
四の旅 織田信長と岐阜・安土
愛知をふりだしに戦国の傑物の足跡をたどってゆくと、
歳計画者としてのもう一つの顔が見えてきた......。
五の旅 ヘボンと横浜
知っているようで実は知らない、ハマの成り立ち。
ある人物を求めて異国情緒の街を歩いてみると......。
六の旅 前田利家と金沢
百万石三代の銅像は、なぜ別々の土地に建つのか?
この疑問が、北国の街を深く知るヒントとなった。
七の旅 武田信玄と甲府
今日へ進出できずに死んだ無精が尊敬された理由とは?
江戸期に評価急上昇した名君の実像を考察すると......。
八の旅 平清盛と神戸
盛者必衰。ひとときの都が置かれた地・神戸福原こそ
瀬戸内から宋へと続く海外交易の要衝だった......。
九の旅 太田道潅と東京
江戸城を築いた武将は和歌に通じた風流の人だった。
関東周辺に八つの銅像が建つ男の人気の秘密とは?
旅じまい 西郷隆盛と鹿児島
反逆者として滅びた郷土の英雄への複雑な思いとは?
十年ぶりの南国都市は活気と若々しさに溢れていた......。
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