ビールと古本のプラハ/白水uブックス 1040 千野栄一 白水社 1997年8月5日 印刷 1997年8月20日 発行 |
出版されたのが既に10年前。PCの変遷からいえば遙か彼方ですけれど、東欧の歴史を振り返ると、ついこの間のような気がします。原因は、こちらの認識があいまいなため。それがWin95の時代であることを考えると、とんでもなく昔の気がします。
著者の千野栄一氏が亡くなったのは2002年。下記NO.454『センセイの書斎』(内澤旬子著)にも出てきました。書斎訪問時、既に病状は良くなかったけれど、本の話題に目を輝かせて語っていたとか。
新書の薄いページにもかかわらず、本書からも著者の温かそうなお人柄が伺えました。そして何よりもビールと本を愛した様子も。
昭和30年代初頭にプラハへ留学。その後も頻繁に彼の地を訪れ、ビールを楽しみながら古書店を巡られたことが楽しそうに綴られています。具体的には、 ビールの種類から飲み方まで、微に入り細にわたり紹介されています。けれども、それ以上に古書について披瀝されている内容が深い。そして、社会的な問題が 避けて通れないお国柄だけに、歴史に翻弄されながらも、けっして流されることのなかった千野氏の親しい友人たち。
プラハの歴史、作家たち、古書(店)。何よりも当地の人々が魅力的です。ゆっくり味わいつつ読ませていただきました。「黄金の虎」、訪ねてみたいものです。
p150
愁いに沈む人間クンデラ
私がミラン・クンデラと最後に出会ったのはもう二〇数年も前の一九七〇年の夏だと思う。ビロード革命後の現在では雨後の筍のように二、三〇軒もあるプラ ハの中国料理店が当時は一軒しかなく、その中国料理店の近くのヴォジチコヴァー通りの路上であった。すれ違いざまにやあということになって、お互いに急い でいたので、ほんの一言か二言か言葉をかわしただけであったが、そのときにクンデラが言った「これでまた四分の一世紀待たねばならないのか」という言葉は とても印象的であった。
ご存知のようにソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアを占領したのが一九六八年の八月であり、そのとき以来いわゆる「正常化」と いう名目の下で、プレジュネフの傀儡のフサークが権力の座につき、六八年以前の「プラハの春」に活躍した人々を追放しつつあった時だからである。明日の我 が身を心配しなければならないはずのクンデラがまるで冷静な歴史家のように世界を眺め、他人事のように言った「これでまた四分の一世紀待たねばならないの か」という言葉は、その後も折にふれて頭に浮んできた。そして、その言葉も色相せて、やや忘れかけた頃、一九八九年にチェコスロヴァキアでビロード革命が おこり、予定よりほんの数年早くクンデラの言葉が実現したのである。今世紀最大の実験といわれる社会主義の崩壊がこんなにも早く来るなんて誰が思ったであ ろうか。それにしてもあの占領後の混乱の中でのクンデラの冷静さはどこから来るのであろうか。終戦後に茫然自失のていであった日本のインテリの姿を見た私 にはとても不思議なというか、思いがけない言葉であった。
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