[NO.489] いしかわ世界紀行

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いしかわ世界紀行
いしかわじゅん
毎日新聞社
2005年9月15日 印刷
2005年9月30日 発行

みんななんて楽しそうなんだ。新宿・四国・沖縄・吉祥寺・メキシコ..."いしかわ世界"への旅がはじまる。「BOOK」データベースの紹介から

いしかわじゅんさんのエッセイ集です。初出は、『毎日新聞』日曜版連載、「オトナの遊び」(2002年10月6日~2003年9月28日)を改題・加筆訂正したものです。

 相変わらずのいしかわじゅん節、健在。どこを読んでも、著者のペースでもってゆかれます。

p220
世界で一番幸福な人たち
 渋谷・円山町の(クラブasiaV で、『ジプシー・サマー・パーティ』というイベントがあった。
 この夏は、チャボロ・シュミットとタラフ・ドゥ・ハイドゥークスとノート・マヌーシュが、ツアーをやっている。この日は、チャボロとタラフが、緒にライブをやるのだ。けっこうなメンバーである。
 チャボロは、『Swing』という映画にも役者として出ていた。主役クラスのいい役である。映画もよかったが、チャボロもよかった。おまけに音楽もよかった。
 彼は、ジャンゴ・ラインハルトの魅力を受け継いだフランスのマヌーシュ・スィングの名手だ。タラフは、ルーマニアのロマのミュージシャンたちだ。マヌーシュとかロマというのは、ジプシーのそれぞれの国での呼び名だ。
 ぼくは、ライブを非常に楽しみにしていた。
 チャボロには映画での素晴らしい演奏に魅了されてしまったし、タラフは前回の来日にはいきたかったのに観にいけなくて、噂だけを聞いていた。奇しくも、 今年はジャンゴの没後50年。取り上げられることも多いので、ぼくも古いアルバムを引っ張り出してよく聴いているし、こないだジャンゴの名前も出てくるウ ディ・アレンの『ギター弾きの恋』を観たぽっかりでもある。
 もう楽しみにするしかないのである。
 クラブのバーカウンターでビールのコップを受け取って、ステージ前に陣取る。まだ当分始まらないとほかの客が安心している問に、じわじわと前のほうに移動し、正面真ん前を確保する。
 客席は、20代から30代くらいか。席といっても、オールスタンディングなんだけど。思ったよりもかなり若い客層だ。
 開演時間になり、タラフのメンバーが、まとまりなくだらだらと、裾から三々五々ステージに登場する。
 バンドほ十数人の大所帯で、一番若くて40代だろうか。上は、明らかに70代もいる。なんだか、みんなやけにニコニコしている。
 狭いステージに大人数なので1列にはなれず、前列にアコーディオンとバイオリンとフルート等が並び、後ろにはギターやベースや大物ツィンバロン等が並ぶ2列構成だ。ツィンバロンというのは、ピアノの原型のような弦楽器だ。
 しばらくは、笑顔で話しながらそれぞれの楽器を調整している。
 演奏が始まった。
 いきなりもうステージの全員が、全力だ。
 全員が、眉を吊り上げて歯を剥(む)き出し、断末魔のような笑顔で演奏している。
 バイオリンは弓を高々と掲げ、客に噛みつきそうに笑っている。アコーディオンは目を閉じて体を揺すって陶酔し、細い木製のフルートは超絶技巧のマッハのスピードで指を動かす。
 曲ごとにメンバーはどんどん入れ代わり、楽器を替え、ノンストップで精力的に演奏を続ける。
 70過ぎの爺さん二人が現れ、掠れたハイトーンで歌い出す。メンバーを指さし、客を指さし、なにをいっているのかはわからないが、実に嬉しそうだ。
 臨月クラスの巨大な腹を抱えたバイオリニストのオヤジが、ついに堪えきれずに、総金歯を剥き出して笑いながら、バイオリンを椅子に置いて踊り出した。腹を揺すり足を上げて、狭いステージの狭いスペースでくるくるとダンスを始めたのだ。
 ああ、みんななんて楽しそうなんだ。
 遠い異国にきて狭いステージで演奏するのは、仕事に決まっている。仕事だからはるはるやってきたのだ。契約があるから、演奏し歌うのだ。それなのに、み んな、今が人生で一番楽しい瞬間のように笑っている。笑い歌い演奏し踊り、客に嶺きメンバー同士で笑顔を交わし合う。
 みんな、ほんとに楽しいのだ。仕事ではあるが、それは人生でもあるのだ。人生は、楽しまなくちゃ損なのだ。いや、そんな損得ではなく、彼らは、ただ歌って踊って演奏する人生が楽しいのだ。
 この日、ぼくは、世界で一番人生を楽しんでいる人たちに会ったのだった。


 いい話です。元祖マイブームのおじさん、侮れず。