[NO.420] 衝動買い日記

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衝動買い日記
鹿島茂
中央公論社
2000年3月30日初版印刷
2000年4月7日初版発行

『中央公論』1998年1月号~1999年12月号に連載

目次
腹筋マシーン/ふくらはぎ暖房器/通勤鞄/挿絵本/財布/猫の家/男性用香水/サングラス/体脂肪計/ごろねスコープ/パラオの切手/時計/封書用ペー パーナイフ/ヴィンテージ・ワイン/本棚/中華健康棒/格安パックツアー/ミュージアム・グッズ/パソコン/しちりん/ブリーフVSトランクス/シュレッ ダー/毛沢東・スターリン握手像/チーズ

 こういったエッセイでは、ネタにするために買ったのではないか? と疑ってしまいそうなものが出てくると興ざめしてしまいます。もっとも、鹿島氏自身が どれだけ楽しんでいるか伝わってくれば、それでいいです。どれだけくだらない買い物をして、その結果、情けない思いをしたのか、楽しんでいることが読者と しては面白いのかもしれません。
 日常の買い物では、通販好きのようです。しかし、一番のおかしさは海外旅行の先で買う、自分自身へのお土産でしょう。「パラオの切手」「ミュージアム・ グッズ」「毛沢東・スターリン握手像」あたりは秀逸。圧巻は、そのものずばり「格安パックツァー」。今後が楽しみです。そういえば、「しちりん」は我が家 にもあったはず。
 古書エッセイの読者から、こちらへ流れてきましたが楽しめました。ご本人もあとがきで書いていますが、ロックスターでもないのに、こんな文章を読む人がいるのだろうか、という疑問に対する答えは、ブログの流行に答えが出ています。

p213
あとがき
 私たち団塊の世代が若かったころ、カリスマの一人として活躍していた植草甚一氏は古本とジャズと映画と散歩が大好きだったが、このうち散歩というのはた だ街をぶらぶらするだけではなかった。甚一氏の散策日記を読むと、甚一氏は、散歩の途中で、新しいブティックや雑貨屋を見つけるたび、そこに寄り道し、出 合い頭にシャツや雑貨小物を衝動買いすることを楽しみにしていたことがわかる。なぜ、甚一氏にとって、衝動買いが楽しかったか? それは、ようするに、子 供にとっての駄菓子屋やオモチャ屋での買い物が楽しいのと同じである。ホモ・ファーベル(作る人) である人間は、たとえ自分が作らなくとも、作られたモ ノを自分のまわりにはべらしておくのが好きなのだ。子供部屋の中にモノがあれば、そこは一つの宇宙となる。自分だけの宇宙が、モノを買うことによって実現 可能となるのだ。これは、子供が大人になっても変わらない。子供部屋が書斎となり、そこの主が中年男に変わっても、人が「買う」という行為によってモノと 取り結ぶ関係は不変なのである。私も、甚一氏の年齢に近づくにつれ、男にとっての買い物ということの楽しさがあらためてわかってきたような気がする。
 と理屈をつければ、まあ、こういうことになるが、ようするに、私は、デパートやスーパー、あるいは日曜大工スーパーなどに入って、あれやこれやと棚を物 色し、なにかおもしろいものはないかと探すのが好きなだけなのだ。そして、その衝動買いが○であったり、大×であったりすると、それを、多少は誇張をまじ えて人に話したくなるのである。
 そんな買い物の自慢話がどこをどう伝わったのか、当時『中央公論』 の編集長だった湯川有紀子さんの耳に入り、毎回、日常生活の中で衝動買いしたモノを報告するかたちで連載をしてみないかとお誘いを受けた。
 正直いって、この話に、私は若干の躊躇を感じた。というのも、日常生活での買い物のエッセイとなれば、必然的に日常生活そのものを露出せざるをえなくな るからだ。もっとも、日常生活の露出自体がいやなわけではない。それどころか、『子供より古書が大事と思いたい』などという究極の自己露出本を書いている ぐらいだから、むしろ露出癖があるといってもいいほどだ。それにさらすことを意味する。