無用の人/萩原朔太郎研究 著者 慶光院芙沙子 発行者 『無限』編集部 発行所 政治公論社 1964年11月20日 印刷 1964年12月1日 発行 定価1500円 |
函 表紙 装幀 西脇順三郎 表紙 中扉 題字 西脇順三郎 背文字 扉 題字 高橋錦吉 |
※赤い部分が革張りです。その手触りがとってもいい。背文字は金。
目次
第一篇 詩人の運命
Ⅰ 虚妄のひと朔太郎
Ⅱ 朔太郎の観念(いでや)と心像(いめいぢ)
Ⅲ 朔太郎の詩と現実
第二篇
Ⅰ むなしき歌
Ⅱ さんた・まりや
Ⅲ 抒情の形而上学(メタフィジック)
Ⅳ 抒情の美学(エステーティック)
Ⅴ 人工の霊感
Ⅵ 日本への回帰
Ⅶ 無用の情熱
あとがき
「Ⅰ 虚妄のひと朔太郎」は予想どおり、先日入手した『無限2』1959年夏季号掲載「虚妄のひと朔太郎」と、ほぼ同一でした。
読後感のなんとも不思議な本でした。これを書いたとき、筆者は何歳だったのでしょうか。まるで女学生のように思えます。すごい本。装丁の立派さと本文のちぐはぐさに、しばらくおかしな気分になりました。
意外だったことに、誤植の多さが。
それにしても、「何百本もあった家伝の刀剣や、葵の家紋の入った何かわからぬ什器類」というのは、なんともはや。
p170
何百本もあった家伝の刀剣や、葵の家紋の入った何かわからぬ什器類から、雛人形、植木鉢に至るまでの沢山の道具類や、古めかしい、埃っぼい、しかし何か妖気をただまわせている古文書、掛軸、衣類らしいものなどが乱雑に詰め込まれている定紋付の長持や、その他無数の先祖伝来のガラクタ類
以下抜粋
p11
詩 人とは、また、詩人の世界とは、その生活とは、現実の日差しのもとで、直接に触れてはならないものであろうか? 事実、作品から想像される「朔太郎」と、 私の知っている「萩原さん」や「朔ちゃん」とは、ほとんど同一人とは思われないほど、それぞれ異質的な三種三様の人格であった。私が多く接したのは、不運 な夫、悲壮な父の暗黒時代であった。厳しい現実生活のなかで、迷い、悩み、苦しんでいる、いわば戦い疲れた哀れなひとりの人間の姿であった。しかし、そん な「朔ちゃん」のうしろにさへ(ママ)、私はいつでも詩人朔太郎を見いだそうと執念した。
p74
―― 私たちの家では萩原さんのことを「朔ちゃん」と呼ぶのが普通だった。子供時代の萩原さんを知っている祖母や幼な馴染みの母がそう呼んでいたのが当時幼い子 供の私たちにまで慣わしとなっていたのである。だから萩原さんに面と向かうと、私たちは、何と呼びかけてよいか当惑することがしばしばであった。いま思え ば「萩原のおじさま」と幼い日のまま素直に呼んでいればよかったのにと、昔を思い浮かべて、苦笑せずにはいられない。
p299
本書の上梓にあたって、特に追記しておきたいことは、本書の装幀に西脇順三郎氏が特別な御好意を寄せられたことである。そのほか、村野四郎、草野心平、伊藤信吉の諸氏を始め多くの方々からたえず激励を賜ったことに対し深く感謝せずにはいられない。
そうそうたるメンバー。
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