[NO.406] 奥付の歳月

okudukeno.jpg

奥付の歳月
紀田順一郎
筑摩書房
1994年11月5日 初版第1刷発行

p27
 年数を更新したのが戦後の徳富蘇峰『読書九十年』。文久三年生まれだから、昭和二十七年に数え年で九十歳となる。物心もつかぬころから素読をはじめて、読書も実質九十年という計算になるのだろう。ただし講談社学術文庫版では平凡に『読書法』と改題されてしまった。
 それはともかく、蘇峰の序文には「此の個人としては長き丁場を今日まで過し来れる、唯一とは云わぬが、第一の耐久朋は書籍である」とある。この耐久朋と は漢和辞書によれば「心変わりしない、長持ちする友」のことだそうで、さしずめ現代の本は″消費朋〟 であろうか――。

 「耐久朋」、いい言葉です。

p266
 大学を受験するという甥から「おじさん、日本はアメリカと戦争したんですか?」と訊かれ、一瞬絶句してしまった。無知といえばそれまでだが、五十年という歳月がもたらす世代間の亀裂を実感したからだ。
 この百年ないし″近い過去としての昭和〟を語る場合、第二次世界大戦を軸に「戦前」と「戦後」を分けるというのが従来の常識であったが、若い世代にとってはその戦争すら身体感覚でとらえにくくなっているということだろうか。
 身体感覚といえば、私たちの世代にしても最近の五十年間を「戦後」という一語で括るのが困難になっているのではあるまいか。皇居前広場が米よこせデモで騒然としていた終戦直後と、平成の米騒動はどう考えても地続きにはならないのである。
 加藤典洋は『日本という身体』(講談社選書メチエ)の冒頭において「戦後」という呼称の実態が希薄化していることを指摘、これに対する「戦前」という概 念もいまや崩壊したとしている。たしかに私たちが戦前というのは、せいぜい大正半ばごろまで遡ることができるだけで、「このことを別の面からいえば、いま わたし達のなかにある歴史感覚は、ほぼ大正のなかば以降の七十数年ほどのうちにしか、生きていないということである」。
 戦後数年目に三宅雪嶺の『同時代史』を手にしたさい、明治維新を同時代とする感覚に一驚したものだが、考えてみれば万延元年二八六〇)生まれの彼にとっ ては当然のことだし、起稿の大正十五年(一九二六)という時点の読者にとっても、なんら怪しむべきことではなかった。明治から地続きだった近代という平原 に深いクレバスを穿ったのは戦争である。


p269
あとがき
 書物の奥付をしみじみ眺めるのが、私のむかしからの癖である。子どもの時代が物資不足で、本が貴重品だったせいもあろう。本文はおろか奥付まで読み尽く さなければ、どうしても気がすまなかったものだ。当時は検印用紙が貼ってあったから、その意匠を眺めるのも楽しみの一つだった。
 いつのころからか気にかるようになったものに、奥付の発行日がある。新しい本、古い本、版を重ねた本......。ある文庫本は半世紀もかかってようやく重版さ れている。ほんの昨日買ったばかりと思っていた本が、奥付を見ると、なんと二十年も経過してしまっているではないか! 家電製品などの製造年月日とはちが い、本の目付はただちにそれを読む者の人生や経歴にかかわってくるようだ。その本の発行日から流れた時間に思いを馳せると、書物の年輪と私自身の過ぎ去っ た時間とが重層的に絡み合い、紙背から浮かびあがってくるような気さえする。それは現実とは別の時間である。もともと読書とは、〝もう一つの時間〟を発見 する営みであるはずだ。
 このようにして本を読むということは、途中で立ち止まることの多くなることを意味する。しばらく巻を閉じて、三十年、四十年前の回想に浸っている自分に 気づくことがある。関連する別の本を取り出して再読することもある。いわば、そうした気ままな読書の一部を整理したものが、本書である。
 もと「サンデー毎日」のコラムとして一九九二年四月十九日号から翌年五月九日号まで連載したものに、新しく三十回分を書き足して一本にまとめた。なるべ く新刊をとりあげ、時事的な話題や季節感も重視したつもりである。過ぎ去ってみると快い緊張に満ちた二年余であったと思う。
 連載時にお世話になった方々と、本づくりの過程でお手をわずらわせた筑摩書房編集部にあらためてお礼を申しあげたい。
  一九九四・四
                    著者


当時は検印用紙が貼ってあったから、その意匠を眺めるのも楽しみの一つだった。」本が好きであれば、当然のことです。けっして集書狂なんぞでなくとも。

okudukeno2.jpg