本が好き、悪口言うのはもっと好き 高島俊男 大和書房 1995年2月5日 第1刷発行 1995年4月30日 第5刷発行 |
読んでいる間、楽しい時間を過ごすことができました。どうやら、山本夏彦氏の次には高島俊男氏の追っかけになりそうです。(すでになっています。)
p80
かかりつけの書評家を持つ幸せ
『狐の書評』(本の雑誌社)
表題に大賛成。高島氏は、続けます。「短い書評家の神品は池澤夏樹さんの『読書癖』(みすず書房)である。/ところがもっと短い書評集があらわれた。」それが『狐の書評』だとのこと。両方とも愛読書だっただけに、いうことありません。
p97
これこそ目利きというものだ
向井敏『表現とは何か』(文藝春秋)
おれほこういう本が好きだなあ、という新刊を二冊、つづけて読んだ。一つは田中謙二氏の『ことばと文学』(汲古書院)、もう一つがこの『表現とは何か』である。
田中氏の本は、「文學はことばの藝術である」という一句ではじまっている。そして、たとえばこんなふうにおっしゃる。
「だから、文学作品を論ずる場合、思想性がどうの、藝術性がどうのなどと言って、感動を強要する説きかたが、筆者には空しく感ぜられてならない。(......) 筆者などは、戯曲・小説の一段の描寫に胸うつものがあると、その作品の全體まで優れて評價したくなる弊さえ免れない。」 (「元曲のおもしろさ」)
p216
天児直美『炎の燃えつきる時――江馬修の生涯』(一九八五年春秋社)
忘れそうでいて、ときどき思い出す本というものがあります。本書もその一冊でした。
p222
わたしの鼻はまちがいなく二十世紀末日本の空気を吐呑(とどん)しているのだが、わたしの魂魄(こんぱく)はたいていもう少し前の日本をさまよっているらしい。
という書き出しで始まる「狩野亨吉」についての文章。再読どころが三読しました。
コメント