[NO.378] 本の話 何でもあり屋

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本の話 何でもあり屋
井家上隆幸
リブリオ出版
平成7年7月31日 初版第1刷発行

 井家上節が聴けます。古いけれども。

p32
関川夏央『「ただの人」の人生』文藝春秋
著者「あとがき」にいたって関川夏央の〝不機嫌″をやっと理解した気分になった。
《幸か不幸か(おそらく不幸だろう、不幸に決まっている)いま生きている人が嫌いである。いま生きている人に自分が含まれるのは当然だが、四十歳を越して ますますその度合いは増した。しばしば他者との、ときどき自分との距離をはかりかねて立往生する。こんなことで生きていけるものだろうかと不安に思わない でもない。そういうときむかしに逃避、あるいは避難して、むかし死んだ人とつきあおうと試みる。それが時間軸に沿う旅ということである》《望ましいことに 彼らはもはや息をしていない。口臭体臭はせず、気にさわる癖も見せない。生きていることそのものからくる暑苦しさ、気どりゃ表情の険、口調にともなう刺な ど、みなきれいにこそげ落ちていて、そのままの人として見ることができる。そのうえ彼らは文句をいってこない。金を借りにこない》


p128
 井上ひさし『自家製文章読本』にいわく、《ヒトは言葉を書きつけることで、この宇宙での最大の王は「時間」と対抗してきた》《せいぜい生きても七、八十年 の、ちっぽけな生物ヒトが永遠でありたいと祈願して創り出したものが、言語であり、その言語を整理して書きのこした文章であった。わたしたちの読書行為の 底には「過去とつながりたい」という願いがある》《だが、奇怪なことが起こりはじめているのもたしかである。かなわぬまでも時間と対抗しようという、いか にも人間らしい気組みが世の中から急速に失われて行きつつあるらしい》《たとえばテレビには》《「視聴率はどかんと稼ぐが、放映そのものは一回こつきり、 二度とは放映しない。それがテレビだ」という思想で支えられている。書物に引きつけていえば「再読に耐える名作や名文なんていらないよ。読み捨てられ、忘 れ去られてもかまわない」というわけだ》《時間を超えたい、いいものを作りたいなどというと 「小狡いエリート趣味」「嘘っぽい」「根暗、やーね」と一笑 に付されてしまう》《これらの風潮の底の底には、大量生産→大宣伝→大量購買→大量破棄という、この時代の枠組がある。再読、三読に耐えるものなどあって は、あとに控えている小説が捌けないから、かえって困るのだ。こうした時代での悲劇は、年に数冊あらわれる名作=古典候補作が「ベストセラーのうちの一 冊」と安直にレッテルを貼られ、数カ月店頭を賑わせて、それからひっそりと消えてしまうことである》。

p146
高平哲郎『スタンダップ・コメディの勉強』晶文社
高平さんが「スタンダップ・コメディに特有の凄さ」という、立川男子の「聞いているだけだと思って安心するなよ。喋ってる俺に罪があるなら、聞いてる手前 たちも同罪だってことを忘れるな」というフレーズを語れるのは、ビートたけしと本音でやっているときのタモリを除けば、ほとんど誰もいないといっていい状 況は、日本人にとっては不幸というしかない。