[NO.363] 中国文学の愉しき世界

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中国文学の愉しき世界
井波律子
岩波書店
2002年12月19日 第1刷発行

 著者が愉しそうに綴った文章を読むのは、読者としても幸せです。他にも著書があるとのこと、探しだそうという気になりました。

 本書の紹介としては、著者自ら書かれた「あとがき」に詳しいので引用します。
p211
  本書は、おおむね一九九六年から二〇〇二年初めまで、六年余りの間に書いた文章と、今回書き下ろした一篇を合わせて成ったものである。わたしにとっては、 八七年の『中国的レトリックの伝統』(影書房、のち講談社学術文庫)、九三年の『中国のアウトサイダー』(筑摩書房)、九七年の『中国文学――読書の快 楽』(角川書店)、九八年の『中国的大快楽主義』(作品社)につづく五冊目のアンソロジーにあたる。

 いつのころからか、わたしは、勉強は楽しんでやるものだ、自分がおもしろくない ことを無理にやっても意味がないと思うようになり、以来、怖(お)めず臆せず、おもしろくて愉しい対象を求めて、古代から近世・近代にいたるまで、中国文 学の世界を探求・探検するようになった。本書『中国文学の愉しき世界』は、そんな探求・探検のプロセスでみつけた、おもしろい書物、愉快な人物、不思議な 出来事等々について書き綴った文章を、四部に分けて収録したものである。四部のうちわけは以下のとおり。
 第一部「歴史を彩る奇人・達人」は、主として、古代から明清にいたるまで、激動する時代状況のなかで、それぞれユニークな方式で「わたし自身の生き方」を貫いた、奇人・達人の生の軌跡を描く文章を収めたもの。
 第二部「幻想と夢の物語宇宙」は、主として怪異諸や仙界講等々、奇抜な中国的物語幻想を駆使した作品をとりあげた文章を収めたもの。
 第三部「中国文化プロムナード」は、九六年一月から四月まで『日本経済新聞』夕刊「プロムナード」欄に連載した文章を中心に据えながら、中国文化・文学の特色を多角的に探ったエッセイを収めたもの。
 第四部「本と人との出会い――わたしの中国文学遍歴」 には、わたし自身がおりおりに出会った忘れえぬ人々や書物について記したエッセイを収める。この第四部には、あるいは気恥ずかしいほどくっきりと、わたし自身の生の痕跡が映し出されているかも知れない。
 こうして四部にわたり、さまざまな角度から「中国文学の愉しき世界」を探求した本書が、中国文化・文学の汲めど尽きせぬ豊饒な魅力を、いささかなりとも浮き彫りにしえたならば、ほんとうにうれしく思う。
 本書の文章のほとんどは、もともと新聞や雑誌など、さまざまな媒体に書かれたものである。執筆の機会を与えてくださったそれぞれの編集者の方々に感謝したい。
 本書の出版にさいしては、岩波書店の井上一夫氏と古川義子氏にたいへんお世話になった。井上さんと古川さんは、本書に収められた文章群を鮮やかに編集構成し、みごとに一冊の本に仕上げてくださった。ここに心からお礼申しあげたいと思う。

 一番の眼目は第一部でしょう。「科挙」を巡っての話題や文人たちの逸話が豊富でした。中島敦「山月記」ではありませんが。
 第二部の怪異譚も読み応えがあります。書き言葉である「文言(ぶんげん)」と話し言葉である「白話(はくわ)」。それぞれの違いと、書かれた作品につい ての解説がありました。『聊斎志異』は前者、四大奇書『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』はみな後者であるとのこと。後者は、「長らく町の盛り場で講釈師が語り伝えた無数の講談をふまえ、これに周到に手を加えて完成されたもの」だといいます。なるほど。
 しかし、通俗的な興味から読んだ第4部が最も印象に残っています。(もちろん第三部での日常生活にからんだ逸話も捨てがたいですが)。京都大学での学生 時代にお世話になったという吉川幸次郎、桑原武夫、梅原猛、高橋和巳の各氏についての逸話は忘れられません。この四氏の謦咳に接することのできた著者の幸 福。
 推理小説とアメリカン・ロック(一番お好きなのはザ・バンド!)が趣味だという著者が、高橋和己氏との会話の中で氏がギターを弾くというので、どんな曲 かを聞くと、あっさり「湯の町エレジー」と言われ、腰が抜けそうになったことがあったそうです。アメリカン・ロック狂いであり、ギターといえばロック・ギ ターしか頭に浮かばなかった著者にとって、驚愕したのでしょう。あわせて、著者がコカコーラを飲もうとすると、高橋和己氏に「あんなテキセイのものを飲む のですか」と憤然として言われ、唖然としたこともあった、というエピソード。そういえば、たしかに私も「コカコーラを決して飲まない」とおっしゃった何人 かの学者さんを知っているだけに、あれま、と思いました。