よろしく青空 中野翠 毎日新聞社 2006年12月10日 印刷 2006年12月25日 発行 |
『サンデー毎日』2005年11月~2006年11月掲載文のコラム。巻末に「感傷の達人――追悼 久世光彦さん――」「さようなら〈狐〉――追悼 山村修さん――」を載せています。
ごろごろしながら読み、ところどころに付箋紙を貼りました。すると、その数12枚。中身はいろいろです。紹介されている本のタイトルから警句、雑知識まで。
著者の本では、今まで書評しか読んでいなかったのが、損をしていたような気がしました。
では、付箋紙を貼った箇所を紹介。
p13
三木成夫 解剖学者 『胎児の世界』三木成夫著・中公新書/『唯臓論』後藤仁敏著・風人社
きっかけは二ヶ月程前の『小説新潮』の「軽老モーロー対談」だった。東海林さだおさんと赤瀬川原平さんの人気連載対談である。毎回楽しみに読んでいるの だが、「人間は内蔵だ!――三木成夫を知っていますか」と題された、その回は感動的なまでに面白かった。深く、おかしく、スリリングだった。(2005年 12月4日号)
■こうなると、二人の対談も見つけ出して読んでみたくなってしまいます。
p37
P・G・ウッドハウス『ジーヴズの事件簿』
p51
『紅白歌合戦』についての中で
元来、「歌い上げる」タイプの歌手が苦手で、若いポップス系歌手たちが空疎な歌詞をやたら思い入れたっぷりに歌い上げるのにはおぞけ【「おぞけ」に傍点】をふるってしまう私だけれど
p183
「中野さん、ヘンなことを聞くけど、"なにげに"っていう言葉、使う? "なにげに新聞のTV欄を見たら"って書いたこと、ある?」というのだ。「エーッ!? ないよ。嫌いだもの、その言葉」
■きわめて同感。しかし、その言葉をプラスに評価している方の文章を読んだことがあり、そのときには頭の中が混乱してしまいました。(どうしても同意できずに。)
p191
あ、そうそう。浅草の飲食店の従業員にはオバサン、いや「ベテラン主婦」風の人が多い――というのがこの話の前提ね。ついでに言うと、私はそこが浅草のいいところだと思っている。オバサンたちは若い子と違って「マニュアル」なんかでは動かない。自分の世智で動くから。
p192
そんなことも知らなかったのかと言われそうだが、つい最近「エンスー」という言葉の意味を知った。
女性誌では見たことがない、もっぱら男性誌(それもちょっと気取ったほう)で目にする言葉だけれど、「エンスー」というのはenthusiast(...... に熱中している人、......の虫、熱狂者)の略だったのね。「マニア」「おたく」と似たようなもの? 辞書によると、enthusiasm(熱狂、強い興味) という言葉の語源は、心の中に(en)神(theos)が取り憑いた状態だという。古くは「宗教的狂信」という意味だったという。
それで言うと、私はエンスー度はあんまり高くないですね。もちろん好きな芸能人やアーティストや作家はいるけれど、その人の全作品を見なければ気がおさ まらないとか、その人についてどんなことでも知りたいとか、その人に関係した物を何とかして手に入れたいとか......そういう種類の情熱はあんまり無い。追求 心に乏しいというか、追っかけ精神に欠けるというか。
自分が生きて行くうえで必要なものをその人からもらってしまえば、あとはそんなに執着はないのだ。
だからといって、その人に対する愛が薄らいだというわけではない。愛の深浅と、執着の強弱とは、いちおう別物だと思う(それを同一視するのが、いわゆる「おたく」か?)。
p201
その頃のお茶の水にはあちこちに感じのいい喫茶店があった。私は大学時代から喫茶店病を発症していた。駅のすぐそばにあった「画翠/レモン」「ジロー」「ミロ」(これはまだ健在)などで、
p224
『気違い部落周游紀行』を読んでいてフッと深沢七郎を連想し、久しぶりに、あの世界が恋しく、読み直したくなった。【中略】手近にあった文庫版を拾い読み(ちくま日本文学全集――深沢七郎)
やっぱり『庶民列伝』の中の「おくま嘘歌」、最高ですね。
p225
深沢七郎の有名な言葉だが、「人間は誰でも屁と同じように生まれたのだと思う。生まれたことなどタイしたことではない。だから死んでゆくこともタイしたことではない」
杉浦日向子さんの新刊『うつくしく、やさしく、おろかなり――私の惚れた「江戸」』筑摩書房。
杉浦さんは「江戸」に惹かれた理由をこう書いている。
「何がそんなに気に入ったかといえば、江戸人の好んで口にする『人間一生糞袋』という、テレとヤケクソのごっちゃになったタンカに意気投合してしまった結果のようです」
「(江戸人の)人生を語らず、自我を求めず、出世を望まない暮らし振り、いま生きているから、とりあえず死ぬまで生きるのだ、という心意気に強く共感します」
p235
限りある自分の命を、この世の中を、深く味わって生きること。それは多分に、今は亡き書評家の〈狐〉=山村修さんから学んだことだ。【中略】
私には〈狐〉は何よりも「味わう人」に思えた。「考える人」でも「論じる人」でもあったけれど、その五十六年間の人生を通じてまんなかにあったのは「味わう」ということだったと思う。
■蛇足ながら
p251
●子どもか孫か●SF化する予宮【ママ】●「代理出産」ちょっと待った!
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