[NO.337] モース・コレクション[民具編]/モースの見た日本/セイラム・ピーポディー博物館蔵

00.jpg

モース・コレクション[民具編]/モースの見た日本/セイラム・ピーポディー博物館蔵
構成 小西四郎・田辺悟
小学館
1988年5月20日 初版第1刷発行
2005年5月10日 普及版第1刷発行

 モースが来日したのは合計3回。
(1)1877年(明治10)6月~11月。
(2)1878年(明治11)4月~1879年9月(妻子を伴う)。
(3)1882年(明治15)6月~1883年2月。

 1874年(明治7)の政府の「御雇(おやとい)外国人」数は500余名に達し、このほか府県、私雇の外国人は100余名におよんだといいます。彼らの多くは、太政大臣・参議に匹敵するような高級だったとも。モースもその中の一人だったわけです。

 当時の日本の様子は、というと1874年(明治7)政府統計によれば人口約3360万人余。現在の人口のほぼ4分の1。一般庶民の(ことに農村や漁村での)生活は江戸時代とほとんど変わりがなかったのだそうです。

 本書は、そうした庶民の生活用品が100年のタイムカプセルから取り出されたように提示されています。有名な岡倉天心が贈ったという鰹節も見られます。

『この国のありとあらゆる物は、日ならずして消えうせてしまうだろう。私はそのために日本の民具を収集しておきたい。』
 なんとも思い言葉です。まるで現在の日本を見透かしたかのようなモースの言葉。この頃の民具を研究しようとしても、日本国内には残っていないのだそうで す。『写真編』では、当時の風景が同様に残っていないことがポイントでした。(地方の農村や漁村の暮らし、そして都内の建物等々)。
 あわせて、モースが書き残した記録も興味をかき立ててくれます。「日本ほど子供が大切に扱われている国はない。」「日本は子供たちの天国である。」「子 供たちのニコニコ顔から察すると、朝から晩まで幸福であるらしい。」なんともはや、現代社会の問題点は、これらが崩壊したことに起因するのでしょうか。 

07.jpg 02.jpg 01.jpg

アーカイブス2(NO.337)へ