[NO.315] 生きているのはひまつぶし/深沢七郎未発表作品集

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生きているのはひまつぶし/深沢七郎未発表作品集
深沢七郎
光文社
2005年7月30日 初版第1刷発行

 去年の冬、やっと見つけた「ラブミー農場」を思い出します。手彫りらしき「深沢」の表札と、冬枯れの「ラブミー農場」の跡。詳しくは「ささやかな日々」2006/2/4(土)

p18
◆ラブミー農場 深沢七郎が埼玉県菖蒲町上大崎の見沼代用水の近くに三十五アールほどの土地を購入し、好きだったプレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」を もじって、自分の畑を「ラブミー農場」と称した。長い放浪の果てに一九六五年森兼宏さんに手伝ってもらい実現。当時深沢は五十一歳だった。


p36

 
いまの時代ね、いろんな評論家っていう人がいるけどね、ストリップ評論家っていうのもいるよ。嵐山光三郎っていうの。これはオレの息子みたいなもんだけどね、彼はヌードのこと、そりゃ詳しいからね。

p40
◆ダンゴ屋 一九七六年、深沢が草加市松江町で開いた店。その以前には七一年に冬の間だけ墨田区向島の曳舟駅の近くで今川焼き屋「夢屋」を営んでいた。


p131

 
「空っ 風野郎」(主演三島由紀夫)の映画のときに、オレが作曲料なんかとらなかったわけだ。そしたらお礼に、中華料理をごちそうしてくれて、ツバメの巣を注文し た。ツバメの巣さえ食わせりゃ、オレにうまいもの食わせたと思っているんだ。オレは、あんな糸コンニャクみたいなもの好きじゃない。ギョーザのほうがよっ ぽどうまいよ。あんなもんは、値段ばかり高くって、全然うまくない。それを、ツバメの巣さえ食わしてやれば、うまいもんくわしてやったと思う、その考えが あさはかなんだ。値段とか名前で、ものごとを判断している。ほんとうの味覚で処理しているんじゃない。

p183
あとがきにかえて
マイ・スター深沢七郎讃――現代の吟遊詩人の眼――
白石かずこ
前略


 
あ あ、三十年がたった、深沢七郎さんに逢わなくなって、今頃どこかな、と上をみあげることがある。が「葡萄は酸っぱくなきゃ」とすぐ傍らでいう声が聞こえ る。ソウ、自然の味のまま、あれから半世紀がたちましたネ。ホラ、『楢山節考』から。今は日本中が楢山(姥捨)になりました。予言者ですネ。深沢さんは百 年をみぬく物語をかいた。モハメッド・アリの試合から、三十年がたった今、深沢さんの声が全部の頁からきこえてくるのは嬉しいナ。
 三十年は一瞬ですネ、百年みたいですネ。深沢さん、再び本でおしゃべりが聴けて、それが生きてるものの、一番幸せな時間です。

■山本夏彦氏のいう、「読書は死んだ人との対話」という表現と似ています。なあんだ、そういえば、この本のタイトル「生きているのはひまつぶし」自体が、山本氏の口癖にありました。

p184
一研究者からのメッセージ     金子 明
 清涼な空気が満ち溢れる秩父の山懐で、深沢七郎さんは、永久(とわ)の眠りに就かれています。再び、ご命日の八月十八日が参りますが、この度、光文社よ り『生きているのはひまつぶし』が出版されました事を、秩父の墓前にご報告できますのは、研究を志す一人として、望外の喜びであります。
途中略
 本の中に収録の『予想外の結末』は一九七三~七四年頃のもので、この作品は長く、ラブミー農場の倉庫の一隅に眠っていたものです。
途中略
 また実に縁の深い話ですが、ハンガリー行きを中止した一九七三年七月に、光文社から『深沢七郎ギター教室』がカッパ・ブックスの一冊として出版されています。その中の、(私の音楽ノート)で深沢さんは次のように述べられています。

 こんど、ハンガリーへ行くことになった。むこうで死ぬかも知れないという気がして、告別式のかわりにレコードを残しておいたら、とふと思った。
 あるレコード会社から私のギターをレコードにしないかという話があって(中略)私がハンガリーへ行ってしまったあと、たぶん唯一のレコードが出ることになる。
 親しい人にあげたい私のロクオンで、これは「形見」のつもりだが、私は「形見」を「片身のつもりです。」と書いておいた。「片身」という意味はサカナな どを料理した場合に、「肩から片一方の身」という意味なのだ。ギターは私にとって片一方の身のような気がしている。

 その「片身のつもり」のLPレコードは一九七三年に日本コロムビアより「深沢七郎ギター独奏集」――祖母の昔語り~というタイトルでプレスされています。
 深沢さんの胸の内では、このレコード化が告別式代りのギター演奏会であり、序(ついで)に「片身」の積りの香典返しを兼ねていたのです。だが、結局ハン ガリーへの移住計画は呆気なく頓挫してしまいます。頓挫した理由の詮索はさておきまして、深沢さんが我々に残して下さったこの大いなるヶ心の処り所〟が、 多くの皆様の胸の中で認知される事を願い、改めて深沢七郎と云う人物像の一端を、ご理解戴ければ、誠に幸甚の極みであります。