[NO.310] 中島敦 父から子への南洋だより

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中島敦 父から子への南洋だより
川村湊
集英社
2002年11月10日 第1刷発行

p240
解説 トンちゃん、南の島をゆく 川村湊 から抜粋

筑摩書房版の第二次の『中島敦全集』の第三巻にはこのうち五十通の書簡類が収録されていたが、残りの三十数通は、第三次の筑摩版『中島敦全集』の第三巻に初めて収録された。これは故・釘本久春氏の遺族のもとに保存されていた書簡類が、 第三次の全集編纂を機会に、新たに「発見」されたからである。
 なぜ、釘本氏の遺族のもとに長い間、南洋の中島敦からの子ども宛ての手紙、葉書が保存されてきたのか、その経緯の詳細は不明だが、中島敦の親友だった釘本久春が、父から子へ宛てた「南洋だより」を読んで、それを一冊の本にまとめようという出版計画を持っていたらしい(その本のための釘本氏による「あとがき」の原稿が残っている)。三十三歳で天折した中島敦の未亡人と二人の幼い息子のために、親友の釘本久春は、その本を出版することで遺族に経済的な支援を 行おうと思っていたのだろう。
 第二次筑摩版全集の五十通は、釘本氏が浄書した原稿をもとにしている。五十通のうち、半分の二十五通しか原書簡は残っておらず、釘本氏がわずかだが書き直した可能性のある部分の校訂はこれまで不可能だった。釘本氏の書き写した原稿には、原文の「土人」を「島民」としたところなど、戦後の時代状況の変化に従って書き直したと思われる部分があることが、第三次全集編纂時の原書簡発見によって明らかとなった。また、一九四一年十二月十一日付けの葉書に「日本の海軍は強いねえ。海軍の飛行機はすごいねえ。」(228頁)と書いた、好戦的と誤解されそうなもの、海軍省検閲済の飛行機の絵葉書などは、全集(文治堂 版)への収録を見合わせている。これは死んだ親友の「名誉」を思っての、釘本久春の擁護のつもりの「勇み足」だったかもしれない。これぐらいのことで、中島敦の反軍回主義、反植民地主義的心情を誤解する読者がいるとは思われないからである(開戦時の日本の熱狂ぶりはこんな程度のものではなかった)。