東京ハイカラ散歩 野田宇太郎 角川春樹事務所 ランティエ叢書17 1998年5月18日 第1刷発行 |
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湯島詣(ゆしまもうで)
湯島天神と云えば泉鏡花(いずみきょうか)を思い出す。それほど鏡花の小説には湯島天神や新花町の色里(いろざと)の粉香が漂っていると云うわけであろう。「湯島詣」が特にそうである。
鏡花は明治二十三年頃に、この横の龍同町や新花町に、医学部の学生たちと下宿を転々したことがあったと、その伝記が語っている。
境内(けいだい)に入ると直(すぐ)に小さな無粋(ぶすい)な浅い作りの池の横に「鏡花筆塚」の自然石を削って作った碑が眼にとまった。よくみると、筆塚とある、その筆塚(チョウ)の字が塚(ホウ)と明らかにヽを忘れられて彫られているではないか。塚(ホウ)とは風にとぶ埃(ほこ)りとでも云う意であ る。ヒツホウとは筆の埃りとでも云うべきか。よくもまあ晴れがましくもまちがい文字を書く仁(じん)があるものだと、よしなき事を考えながら、これではまるで鏡花文学の面(つら)汚しだとしか思われない程風情(ほどふぜい)のないヒツホウを離れて、私は境内の東端の、崖(がけ)上の見晴台(みはらしだい)(と昔は云った)に立った。足元にゆるやかな女坂の石段が、そして右には嶮(けわ)しい男坂の石段がある。前面は湯島天神町の家々々のうねり。その向う に広小路(ひろこうじ)の松坂屋デパートが聳(そび)えている。
文字コードにより、「塚」の字は表示されないのでしょうか。それにしても「筆塚」と「筆塚」の違い。上記出版は1951年。
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