[NO.256] 古本屋控え帳

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古本屋控え帳
青木正美
東京堂出版
1992年5月20日 初版印刷
1992年5月30日 初版発行

p85
小山清「離合」
 生涯に一篇でもいいから、古本屋を材料にして読むに堪える小説が書けないものかと思って、私は未だに書けずにいる。文学の中にそれをさがしても、中々満足出来る作品にお目にかかれない。三島由紀夫の『長すぎた春』も、ヒロインの実家が本郷東大前の古本屋で、背景に店や業界の模様も描かれ、古書市場でヒロインが競りに参加する場面まである。しかし、簡単な取材で書かれた通俗小説で、当時の業界のことをよく知っている私には、外国映画に出て来る日本人程度にどこかおかしい。梶山季之の『せどり男爵数奇譚』に至っては荒唐無稽の話としか思えない。
 週一回の神田の明治古典会に、私は約四、五十分かかる電車で行くことが多く、その往復には必ず何か読んでいる。先日来、若き日に読んだ筈の小山清『小さな町』(昭和29)を「離合」というところまで来て、先を読み進めるのさえ惜しくなってしまった。私はここに、私が望んでいた業界を背景にした文学の見本を見たからである。約三百頁に十の短編が収められているが、この作品だけで三分の一を占め、当時ここだけを読み飛ばしてしまったらしい。
 「離合」は昭和二十二年、太宰治の紹介で「東北文学」に載せた小説である。
 昭和十三年、二十八歳の小山は生地の下谷龍泉寺町で新聞配達をしていた。独身で販売所の三畳間に下宿し、唯一本屋通いをするくらいが道楽の日々であった。配達生活もすでに二年目で、界隈の古本屋はみな顔馴染みだ。付近で老舗格はA書店である。すると同じ新聞販売店の一つが廃業、そこへ元新聞記者をしていたという杉本という年配者が古本屋を出す。小山はそこで、女の人が杉本から家庭のことなどをきかれているのを目撃する。その翌日、小山は杉本夫人から年齢を聞かれ、次に立ち寄ると杉本から先日の女の身の上が話された。杉本によると女は二十六歳、左翼運動のことで未決生活をして間もない身で、再起に吉原土手に床店を見つけ、毎日通って来ている、と言う。家には父母と弟がいる。杉本に問いつめられる形で小山は、公金横領の罪で八ヶ月刑務所に入った過去まで話してしまう。杉本は女を店に呼び、二階で小山に会わせた。
 小山は女の小さな古本屋を訪ねた。会話の中で、毎日多少は余りの出る朝刊を配ることを約束したりした。それから何ヶ月かの女との交際と、女に対する小山の愛憎がスリリングなまでに繊細な感受性で描かれ、別れの手紙を郵便で女に送るところでこの小説は終わるのである。
 小山はこの作品を書くのに、あの「ありのままに一分一厘もウソやイツワリなしに、さらけ出した」と作者自ら言っている滝井孝作の『無限抱擁』を手本にしたとか。支邦事変下の下町の小さな古本屋の店先、立場廻りの模様、「○○倶楽部」の貸席で行われていた古本市場の点景を含め、古本屋が古本屋である前に人間であること、でありながらその職業特有のものを身につけてしまう哀しさまでが、この作品で小山によって確実にとらえられている、――と私には思える。

畏れ多くも青木正美さんの書くものです。〈生涯に一篇でもいいから、古本屋を材料にして読むに堪える小説が書けないものかと思って、私は未だに書けずにいる。〉とはいいながら、これだけでもう十分すぎる小説になっていそうです。冒頭で題名を挙げた『長すぎた春』はともかく、『せどり男爵数奇譚』が出てきたのでびっくりしました。オール讀物連載を高校生の身で読んだので、ことさら記憶にあります。

 ◆ ◆

p126
坪田譲治の識語
 識語署名入本というのがある。値はその書かれた文句の良し悪しなどによるが、太宰治やその師井伏鱒二のものなど、よく市場で何万、何十万かに取引されて、僅差で破れた同業が嘆声をあげる光景などを見かけることがある。万一、光太郎、朔太郎、中也、道造などがその詩集の見返しなどに詩でも書いている本が出ようものなら、その日の市場の人気をさらってしまい、もう一ケタ上の競り値さえ期待されるだろう! 業者が商品としてでなく、道楽として持っていてもよいと思う随一の分野でもあるらしい。
 私にも、数冊は売らずにある本がある。いや、その一冊は見返しの識語が気に入り、切り取って小さな額に入れ眺めているのさえある。もう十年ほど前に古書展で千二百円で買った坪田穣治の『虎彦龍彦』(昭17刊)に毛筆で書かれたもので、

 幼年は花咲き
 青春は鳥なく
 中年は風雪裡
 白髪の時は如何

 というのである。周知の如く、この詩は坪田が得意としていたらしく、『日本近代文学大事典』にも筆蹟が紹介されている。ただちょっと異同があり、「幼年この道に花咲き/青春この道に鳥歌ふ/中年は風雪のうち/白髪の時果たして如何」である。が、この詩は、始めはもっと大幅に違ったものだったのだ。
 尾崎士郎の随筆集『風雪文章』(昭12刊)にそのことが出て来る。――上泉秀信の著書『村道』の出版記念会だった。デーブルスピーチを求められた尾崎は、上泉、坪田、下村千秋の釣行脚での挿話を話した。釣りは不調で、三人は川に臨む妓楼の二階で酒を酌みかわすことにした。妓女の一人が坪田を気に入り、思いの盃を差さんとする。坪田は黙してこれを受けず、女も意地、坪田も意地妓女はとうとう泣き出してしまった。上泉が引きとって「女よ、この友は風流を解せざるに非ず、むしろその解することの深きが故に悲しむことに切なるものなり」と弁じたという話だった。
 その会が済んで数日後、尾崎は坪田からの書信を貰うが、それが先の詩の元となった次の『村道の会戯作』だったと言う。

 風流の道解せずと
 満座われを笑ふと雖も
 思ひを寄す郷村の道
 幼年この道に花
 青春この道に鳥
 中年風雪の裡
 白髪果たして如何
 思ひを寄す郷村の道
             (昭和六十三年十一月)

さて、自分で持っている識語署名入本にはなにがある? サブカルじゃあ格好つかない。かといって、大金を出して購うほどの資力もなし。すぐに思いつかないところがなんともはや。