[NO.1620] 世界は文学でできている/対話で学ぶ<世界文学>連続講義

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世界は文学でできている/対話で学ぶ<世界文学>連続講義
沼野充義
光文社
2012年01月20日 初版1刷発行
374頁

1970年代終わりころから80年代まで、朝日出版社から「レクチュア・ブックス」というシリーズがありました。出版社の惹句が アカデミズムと文学者の対話/いきいきとした講義=ドラマを体感! リンク、こちら

現在の学問の先端は、それぞれの固有の論理によってあまりにも先に進みすぎてしまったのではないでしょうか。論理にうちかためられ、専門化され体系化された学問は、一般の読書にはとっつきにくく、しばしば対話不能のときもあります。本シリーズは、その体系の牙城をつき崩し、もう一度はじめから生きたことばによって再構成し、一方通行の講義ではない学問の、ドラマチックな側面をひきだそうとしました。従ってそれは誰にでも手にとれる、知的興奮に満ちた読物になっています。一流の学者先生による講師陣と、知的好奇心旺盛な当代の人気作家による全く新しい講義のやり方と、人間くさい学問のかたちを読者にお届けしたいと思います。

「知的好奇心旺盛な当代の人気作家による」つっこみは、「一流の学者先生」をたじたじとさせることはあっても、むしろどなたもニコニコうれしそうでした。今、思うと、熱量と躍動感が特徴でした。情報量の多さだけがうれしいのじゃないんですね、こうした本を読むのは。

新潮選書、角川選書、NHKブックスなどよりも、「レクチュア・ブックス」の方が強く記憶に残っています。だいぶ買いそろえたし、それぞれ何度も読み返しました。その後、新書でも似たような企画がありましたが、ずっとおとなしかったような記憶です。

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「対話で学ぶ<世界文学>連続講義」というコピーに期待しましたが、どうも違いました。悪くないんですけれど、あれっ? って思いました。相手が、リービ英雄、平野啓一郎、ロバート・キャンベル、飯野友幸、亀山郁夫とくれば、沼野充義さんとのあいだにどんなやりとりがあったか、どうしても期待がふくらんだのです。それが、どうも一方通行な感じで、グルーブ感がありません。聴衆が千人以上入ったホールで、大きなステージの端と端に席があって、順番にマイクをまわしながら講演会をやっているみたいとでもいったらいいのかな。

コロナ禍で増えた、くぐもっているのに妙に金属音のまじった声が響くリモートのやりとり(とぎとぎ途切れる)、とかね。

章ごとに最初は沼野さんがお話しして、つぎにゲストが続きます。その出だしの沼野さんが長い。テーマの説明をかみ砕いて解説しているのはわかります。それでも、です。もしかすると、ゲストより(全体をとおしても)沼野さんのほうが多かったんじゃないかと思えてきます。

キャンベルさんなど、ご自分のほうから発言を控えているそぶりが感じられたのは気のせいかな。

飯野友幸さんとの詩についてが新鮮でした。朗読者を招き、原語での朗読を交えての内容は、こんな講義を受けられたら、きっと幸せだろうなと思います。

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出典

(巻末)
本書は主催/財団法人出版文化産業振興財団(JPIC)、共催/株式会社光文社、東京大学文学部現代文芸論研究室の協賛により行われたイベント、「〈新・世界文学入門〉沼野教授と読む世界の日本、日本の世界」での講演をもとに再構成したものです。

〈新・世界文学入門〉沼野教授と読む世界の日本、日本の世界
第1回2009年11月3日 リービ英雄 [東京・光文社]
第2回     11月28日 飯野友幸 [東京大学]
第3回2010年1月13日 平野啓一郎 [京大会館]
第4回     2月13日 ロバート・キャンベル [神戸商工貿易センタービル]
第5回     5月2日 亀山郁夫 [東京国立博物館平成館大講堂]

編集協力/今野哲男・須川善行

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【目次】

はじめに
世界文学のりりしいヒロイン(ヒーロー)たちのために  9

(1)越境文学の冒険 15
   リービ英雄×沼野充義
   言語のはざまを生きる
    漱石ははたして「日本語作家」なのか/矛盾だらけの『世界文学』/
    日本がなくても「世界」文学全集/日本と世界、どちらが偉い?/
    越境と言語/『われらの文学』は消滅したのか/純粋な言葉への関心/
    なぜ日本語で書きつづけられるのか/中国に行きつづける理由/
    ブッシュとビンラーディンの言葉の前で/李良枝の重要さ/
    問題はW文学さえも超えている

(2)国境も時代も跳び越えて  71
   平野啓一郎×沼野充義
   ネットは文学を変えるか
    現代日本文学をめぐる環境について/
    インターネット時代にものを書くということ/
    「声の文化」「文字の文化」そして「電子の文化」へ/
    パソコンで書くことが人に与える影響/変わる文学と変わらない文学と/
    文学の古典とは何か/膨大すぎる「世界文学」/
    ネットは新しい文学のあり方にどこまで関与するか/
    「新聞」を確立した男、ジラルダン/壮絶な時間の奪い合いの中で/読書    遍歴と文体について/両極の間で考える/ドストエフスキーの喚起力/
    読者との距離をどうやって測るか/純文学とエンターテインメントの違い/
    日本文学ははたして世界文学になりうるか/文学のための文学?/
    文学でなければできないこと

(3)「Jブンガク」への招待  167
   ロバート・キャンベル×沼野充義
   世界文学の中で日本文学を読む
    「Jブンガク」とは何か/「世界文学」とは読み方の問題である/
    千三百年の日本文学の蓄積/伝統的な美意識と現代的な美意識の共存/
    純文学の「純」とは/違った距離感の中で日本文学を見る/
    村上春樹の日本回帰?/「国際化」する日本文学界/
    外国文学としての漱石/国境を踏み越えていた日本文学

(4)詩を読む、詩を聴く  223
   飯野友幸×沼野充義
   詩は言葉の音楽だ
    詩とは何だろう/辞書は詩をどう定義しているか/
    『古今和歌集』に見る詩の力/詩にとって形式とは何か/
    ホイットマンを翻訳する/すべての試みがやりつくされた後で/
    詩の響きにふれる/アメリカの二万人の詩人たち/
    小説家以前は詩人だったポール・オースター/
    村上春樹とアメリカ文学/詩に大事なのは音楽性/詩を読む喜び

(5)現代日本に甦るドストエフスキー  289
   亀山郁夫×沼野充義
   神なき時代の文学者たちへ
    ドストエフスキーとトルストイ/『殺人』『テロリズム』『幼児虐待』/
    埴谷、大江、村上にとってのドストエフスキー/
    重い、深い、軽いドストエフスキー/生涯のテーマになる『悪霊』/
    フレーブニコフとの出会い/マヤコフスキー研究から『二枚舌』の研究へ/
    ドストエフスキーと神の問題/ウラジミール・ナボコフの痛烈な批判/
    『カラマーゾフの兄弟』の続きはどうなる?/
    ドストエフスキーにとって神は存在したか/
    フィクションそのものの中にある希望/最後の価値をどこに置くのか/
    ハリネズミ型と狐型/「父」の問題をめぐって/変幻自在な読書へ

おわりに
「三・一一後」の世界文学を読むために  360

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「レクチュア・ブックス」と同じような時期、現代書館からでていた「フォー・ビギナーズ・シリーズ」という図版ものがありましたが、シリーズの途中からつまらなくなりました。出だしのころのラインナップは新鮮でしたが。