「本の雑誌」2023年11月 No.485 イカワタ寄り切り号 特集:方言と小説 |
当時、利用していたのはファミレスなんかじゃなかったけれど
数日前、ひさしぶりに学生時代の友人と会いました。2、3年前にも一度会っているのですが、今回、こちらの顔を見て「そんな感じだったっけ?」とのたまった。たった2、3年でそんなに変わるかなあ(老け込んだともいう?)とちょっと思う。
彼と最後に会ってから前回再会するまでには40年間くらいの時間が経っていたのに、あまり違和感もなく、す~っと昔の感覚で話しに入っている自分に驚きました。今回も、それは同じだったので、やっぱり不思議な気分です。この感覚。
よく見れば、お互いに年をとった老人なのですが、会話をしているぶんには、まったく違和感がありません。約半世紀前と同じ感覚、同じ気分で、やりとりをしています。何十年もの空白があったということが感じられません。これにいちばん驚きました。まるでタイムマシーンにのって、いきなり時間の壁を超えたみたいな感覚とでもいったらいいのか。
穂村弘さんの文章を読んでいて、ふと、自分の経験したこととオーバーラップしました。かいつまんで抜粋してしまうと、穂村さんの味が消えてしまうので、あえて全文を引用します。
P56
続・棒パン日常
いつの間に
穂村 弘いつの間にこんなに齢を取ったんだろう、と不思議な気分になる。ついこの間まで、真夜中のファミレスで友人たちとおろしハンバーグセットを食べながら将来の夢の話をしていたのに。
未来を語ることだけに今を費やしてライスのおかわりなんかしている
具体的な努力は何もすることなく、ただ都合のいい夢を見ていた。自分には才能があるんじゃないか。何の根拠もなくそう思い込むと、迂闊な努力はできなかった。努力して結果が出なかったら、本当は才能がなかったことが明らかになってしまうからだ。最初の一歩を踏み出さなければ、自分の可能性を信じて、いつまでも未来の夢を見ていられる。
だが、ふと気がつくと、今がその未来、いや、あの頃に夢見ていた未来は通り過ぎているではないか。ファミレスのボックス席の景色が揺らめいて、「?」と目を瞠り、意識が戻ったらここにいた。薬を打たれて、タイムマシンに乗せられたのか。でも、それなら齢は変わらないはず。鏡の自分は老いて、ライスをお替わりするような元気は消え失せている。夜ごとに語り続けた未来とは今と思えばふわふわとする
呆然と周囲を見渡せば、友人たちも皆、還暦という節目を超えて、新たな人生の局面を迎えている。禿げた奴、太った奴、社長になった奴、孫がいる奴、死んだ奴。自分だけが齢を取ったわけではなかった。
「どうしてこんなことになったんだ。何故そんな平気そうな顔をしている?」と尋ね回りたい衝動に駆られる。
大学の時、ルームシェアをしていたYくんは答えてくれた。
「光陰矢の如し、有名な話だよ」
その言葉は知っている。でも、時間の姿は見えない。ただ、先月家に来たばかりの仔猫はぐんぐん大きくなってゆく。そういうことか。Yくん、僕はどうしよう。真夜中のファミレスの灯は消えている。ごはんは少なめでお願いします。
もしかすると、この穂村さんの文章を事前に読んでいたからこそ、友人とステーキハウスで食事をしたとき、既視感を覚えながら、こっそりトイレで鏡を見たのかもしれないな。
ついでに、ファミレスについて。まだファミレスそのものが珍しかった半世紀近く前のこと、横浜の某所にできたデニーズで夜間の主任だったか(?)になったという友人を冷やかしに、何人かと酔った勢いでなだれ込んだ記憶があります。普段の教室で見ている格好とは打って変わった蝶ネクタイで「お客様、おやめください!」「勘弁してくれよお~」と叫んでいた姿が、映画ブルース・ブラザースの一場面と重なって、思い出されます。今は高級レストランのボーイ長(?)になっている元バンドメンバーを連れ戻そうと、店内で嫌がらせをする場面。もっとも記憶は当てになりません。確認すると、この映画の公開は「お客様、おやめください!」と友人が叫んだときより、何年か後のことでした。怖いな、記憶の改ざん。
でも、学生時代にファミレスで集まるなんてこと、当時はまだなかったな。
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P60
本、 ときどき映画
akira
『蜘蛛の巣』(アガサ・クリスティ/加藤恭平訳/クリスティー文庫/早川書店)
コメディタッチの戯曲
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P88
そして奇妙な読書だけが残った
名探偵ポアロとマーガレットの恋
=大槻ケンヂアガサ・クリスティは若い頃に何冊かは読んだと思う。とりあえず「オリエント急行殺人事件」「そして誰もいなくなった」「アクロイド殺し」の犯人が誰かは知っている。小学生の頃もう知っていた。それは有名な作品だからというのはもちろんあるけれど、僕は小学生の頃に、名作ミステリのトリックと犯人が全部書いてある本を持っていたのだ。この本はホントにヒドい本で、クリスティ、コナン・ドイルその他、有名ミステリの謎部分を全てネタバラシして、作品によってはイラスト付きで子供たちに解説していたのだ。クリスティは先の3作や、ドイルは「まだらの紐」などアレはヘビですよう、と教へ(ママ)てくれた(あ、書いちゃった)。ポーの「ル・モルグ」もあった。こちらも、アレはオランウータンなんですよう、と書いてあったように思う(また書いてしまった)。一番ヒドかったのは、横溝正史「本陣殺人事件」の、水車、日本刀、庭、糸、などのトリックにおける例のピタゴラスイッチ的関連性が、克明なイラストによって子供にもわかるように詳細に描かれてあったことだ。わ!わかりやすい、って...。あの本、なくしてしまって今は書名すらわからない。検索したけれど見当たらない。謎の子供向けミステリネタバレ本。どなたかこれわかりませんか。
これを読んだときに、あっ! と心の中で声が出ました。「この本、自分でも見たことあるぞ!」 もしかすると月刊雑紙の付録だったかもしれません。当時は、こんなのがいくつかあったような。少年マガジンの図解じゃないけれど。
横溝正史「本陣殺人事件」の、水車、日本刀、庭、糸、などのトリックにおける例のピタゴラスイッチ的関連性が、克明なイラストによって子供にもわかるように詳細に描かれてあったことだ。というイラストは目に浮かぶ気がします。こちらは中学生になっていたかもしれません。そのイラスト図を見るまで、(読んだだけでは)はっきり理解できていたかったのでした。そして、(図解を見たことは内緒にしておいて)友人たちに言い放ちました。「あんなのトリックと呼べないよお! 黄色い部屋の秘密以来の歴史の厚みが向こうの作品にはあるからなあ!」
これぞ中2病。
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P122
書籍化までβ光年
文学と統計処理
円城塔
数の値打ち/グローバル情報化時代に日本文学を読む
ホイト・ロング 著
秋草俊一郎、今井亮一、坪野圭介 訳
フィルムアート社 刊
4400円(税込)
さすが円城塔さん、よくぞ紹介してくださいました。漱石の『文学論』(例のfってやつかな)と柄谷行人の『日本近代文学の起源』を取り上げているのだそうです。へーえ。今ごろになって、このタイトルを目にしたのはなんとも。
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P126
●ホリイのゆるーく調査
「どす」より「おす」が
京都っぽい!
=堀井憲一郎
いやあ、恐れ入りました。関東人の私には脱帽です。関西出身の芸人さんがしゃべる言葉遣いにときどき感じるものが、うっすら説明された気分になりました。あくまでも気分になっただけで、ちょっとしたイメージしか感じられません。理解なんて、とてもとても。大阪落語を思い浮かべました。米朝さんとかね。
冒頭のサービスは、芸というにはくどいなと感じてしまいました。
京都の中学生のころ、国語の教科書に淀川長治の小説『古都』が載っていたのを読んで驚いたことがあったのだが、さいなら、さいなら、淀川長治と川端康成ってなんか音が似てるとおもったんやけど、意味わからないことを冒頭から書いてはいけませんね。文章読本で谷崎が言ってた気がするが、まあ、とにかく、京都の中学校の国語で『古都』を読んだ。
読み返していると、たしかに淀川長治と川端康成って、音が似ている気がしてくるから、あな不思議。困ったものです。
今回の記事、レベルが高かったと思うのは、こちらが関西圏の人間ではないからでしょうか。
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