銀河帝国の興亡3 回天編/創元SF文庫 アイザック・アシモフ 鍛治靖子 訳 東京創元社 2022年05月31日 初版 380頁 |
いったんストーリーの展開に乗っかってしまえれば、そこからの(ページをめくる手の)進み具合は速かったです。本を読むのを中断して次に本を開くまでに間があいてしまうと、作品世界に戻ってくるまで時間がかかって、まごまごしたことがありました。
なるほど、第2ファウンデーションの在りかは、そこだったのかあ! が読了後の感想です。すっかり記憶から抜け落ちていましたから。
これが昨年、新訳として出版されたことに感謝するしかありません。(ハヤカワ版は置いておくとして。)
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読み応えのあったのが「解説」、渡邊利道さんの「完璧な計画と戦う自由への意志の悲劇性」でした。
渡邊さんは、わざわざ解説を書くにあたって、厚木淳訳の旧版から読み直したといいます。気合が入っています。おもしろい視点だったのが、「外部のない世界観」でした。(P375)「アシモフは帝国の外部を設定していない」というのです。
P375
一般に「帝国」という政体には、古代や中世の世界帝国と近代以降の帝国主義国家の二つあるが、アシモフの銀河帝国がどういうのもであるのかは率直に言ってよくわからない。というか、あきらかに古代や中世を想起させる貴族政だったり執筆当時のアメリカと同じような市民社会だたり地域によってバラバラで、ほぼ雰囲気だけの「帝国」にみえるのも、このような外部のない世界観のためだろう。
生硬な感じもしますが、言っていることはストレートです。
・アシモフの銀河帝国がどういうのもであるのかは率直に言ってよくわからない
・ほぼ雰囲気だけの「帝国」にみえる
そのとおりです。
抜き出したところの手前には、このような記述もありました。
P375
アシモフが、銀河帝国を異星人のいない地球出自の人類だけの世界にしたのは人種問題を小説に組み込まないためだったらしいが、おそらくその方針のために使われる言語がどの地域でも一緒というちょっと異様な世界になっている。
「だったらしい」というからには、このことはSF好きの人々の間では、ある程度、知れ渡っていたのでしょうか。
Amazonプライム・ビデオ で見られる、B級を通り越してC級映画とでも呼ぶようなマイナーなSF作品のなかに、似たようなことを思い浮かばせられるものがあります。
宇宙人が地球に攻めてくるのに対抗しているのが、特定のひとつの国だけだったりするのです。せめて国連でも持ち出してくれればいいのに、と思ったりしました。
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もっとびっくりだったのが、
P377
もっとも、人間を操作するということで言えば、そもそもセルダン計画がそういうものである。
というところでした。そこを敷衍すると、次へとなります。
P379
しかし、第二ファウンデーションは、むしろ計画にまつわる知を囲い込んで、陰謀論的な方法で世界を操作する。しかもそれは計画を完遂するために多少の犠牲はやむを得ないというかなり残酷なやり方として描かれており、到底ロマンティックをは思えないありようだというべきだろう。稲葉振一郎が『銀河帝国は必要か? ロボットと人類の未来』(ちくまプリマー新書)という著作で、初期三部作について「ディストピア小説」という評言を与えているのも理解できなくはない。
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第2巻で気になった「紙」の扱いとも関係しますが、「コンピュータ」という単語が第3巻には出てきました。
P47
《レンズ》は、いま現在、恒星間巡航艦における最高の装置で、正確にいえば、銀河系の任意の一点から見える夜空をスクリーン上に投射する複雑なコンピュータだ。
P379(解説から)
現在、世界は計算機科学の応用によるさまざまな「計画」が花盛りで、(以下略)
このように、解説でも渡邊さんはコンピュータという用語は使っていません。全三巻本文のなかにも、「コンピュータ」が登場したのは、この場面だけだったのではないでしょうか。
【追記】コンピュータの件
厚木淳さん訳で確認しました。
p44
<レンズ>はおそらく当時の恒星間巡航船の最新の特色であったろう。実際、それは、<銀河系>の特定の地点から見た夜空の再現をスクリーンの上に投射できる、複雑な計算機であった。
やはり、コンピュータなる単語は使われていませんでした。そういえば、かつては電子計算機と呼んでいた記憶があります。電脳では攻殻機動隊でしょうか。<レンズ>という単語が出たので、つい、E・E・スミスのレンズマンシリーズを思い浮かべてしまいました。50数年前、銀河帝国の興亡と併せて読みふけったものなので。
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