[NO.1600] 数学者たちの黒板

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数学者たちの黒板
ジェシカ・ワイン
徳田功 訳
草思社
2023年07月20日 第1刷発行
239頁

最近の学校では、黒板のかわりにホワイトボードが設置された教室もあるのだとか。そこには白墨ではなく、あのマーカーというのが置かれ、黒板拭きもないのでしょう。

黒板と聞くと、どうしても教室を思い浮かべてしまいがちです。けれども世の中には、授業として以外にも黒板の使い方があるようです。まるでチェスや将棋の「次の手」を考えるように黒板へ記しておいて、しばらくすると書き足す(場合によっては消したり)という使い方。そんな黒板の使い方をしているのが、本書で紹介されている数学者なのだそうです。

いうなれば、マイ黒板。それも伝言板のような小さなものではなく、教室で見るような大型のマイ黒板です。そこにTVドラマ「ガリレオ」で湯川先生がやるように、一般人には理解の及ばない数式をガシガシ書いていくイメージ。(頭の中には当然のことながら、例の音楽が流れています)。

紙じゃ駄目なんだそうです。黒板に向かって、議論を交わすことが重要なのだと。かつてコロナ過で外出制限が出されたときには、多くの数学者が黒板をはさんで向き合えないことで支障を来したといいます。リモートでは駄目なんだそうです。

おもしろいのは、ではなぜホワイトボードは、いけないのかということです。このあたりについては、明確な、論理的回答が見あたりませんでした。いろいろ書かれてはいますが、気分的なもののようです。言い訳のようにすら思える理由を読むとクスッと笑ってしまいそうになります。

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本書は、そんな数学者が使っている黒板の写真ばかりを収めた写真集です。見開きページの左右で一人の数学者が割り当てられます。左側のページには、それぞれの数学者の文章。右側のページには黒板の写真です。この文章が個性的で読ませてくれます。最初は右側の黒板写真のほうに目がいきがちでしたが、次第にエッセイを読むかのように左側の文章にひきつけられていました。

黒板の写真は数式だけでなく、なかには抽象的な図だったりも。チョークの色を使い分けているものもあれば、ただひたすら白墨だけで数式がびっしり書き込まれたものも。それは千差万別です。

へーえと思ったことに、黒板の色がありました。日本の学校では黒板と言いながら、実は緑だったりします。ところがここに紹介された黒板は、黒いほうが多かったのが新鮮でした。黒い黒板なんて、蝶ネクタイをした宮沢賢治が立っている教場を復刻したようです。

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「なぜ数学者には黒板が必要不可欠なのか?」と題した出版社サイトの紹介記事が親切でした。リンク、こちら 

出版書誌データベース「本の総合カタログ BOOKS」のページに目次が掲載されていました。本書で紹介している数学者の名前が全員分あります。リンク、こちら

「訳者あとがき」に

P239
もちろん、(黒板に)何が書かれているかを理解できる人は世界でも指折り数えられる程度であろう。

とありました。理解できなくても、見ていてあきません。

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① 中とびら
   DO NOT ERASE:
   MATHEMATICIANS AND 
   THEIR CHALKBOARDS
   JESSICA WYNNE
② P3 
③ ジル・クルトワ GILLES COURTOIS
   この黒板には、カルタン・アダマール予想として知られる問題を解決するための試みが描かれている。以下略
④ セハール・カーン SAHAR KHAN
   この黒板には、結び目と呼ばれる数学的対象がいくつか描かれている。以下略
⑤ ヤン・リ YANG LI
   この黒板の右半分に書かれた詩は、四書五経を構成する『詩経』からの抜粋だ。

  あそこにある、曲がりくねった流れを見よ、
  生い茂る竹に囲まれ、
  エレガントな紳士(が学問をしている)、
  まるでヒスイ(翡翠)を磨いているかのように。

   (確立された解釈によれば、「ヒスイを磨く」とは、知的な面でも道徳的な面でも、個人を洗練することの喩えに用いられる)。高等研究所のような地上のエリジウム(訳注:ギリシャ・ローマ神話で、地の西端にあるとされる楽園)で、学問を追究することを描写したものとして、この詩を選んだ。以下略
⑥ ローレン・K・ウィリアムズ LAUREN K. WILLIAMS
    ときを超えて碁石が証す波文様
   これは、私が数年前に児玉裕治氏と書いた論文「実グラスマン多様体から構築されるKP解の組み合わせ論」を要約した俳句だ。 KP方程式は、(海辺の波のような)浅水波の間に起こる相互作用をモデル化したもので、この方程式の特定の解に見られるパターンを扱ったのが、私たちの論文だ。以下略

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数学者の間では、日本製の「ハゴロモ・チョーク」が珍重されていました。本書では2か所に出てきます。そうちの1か所が下記です。

「序文」から

P7
(コンピュータの創造など)技術が進歩したにもかかわらず、ほとんどの数学者は、黒板の上にチョークを走らせて仕事をすることを選ぶ。ミュージシャンが楽器に夢中になるのと同様に、数学者は、黒板に恋をする。例えば、黒板の形、質感、日本製羽衣チョークの特質に惚れ込む。黒板は彼らにとって、家であり、研究室であり、私的な思考空間なのだ。