落とし込まれたくはない

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週刊文春9月14日号』の隣り合う書評記事二つに「落とし込む」がでてきて、あれま。

いまや、こんなところにまで侵食してきたのか「落とし込む」。金を払ってまでとはいわないが、できれば使いたくない。

こういうの(使いたくない言葉)は理屈じゃないから、理由を挙げるまでもない。ただ幼児のごとく(になってしまうが)、「嫌だ」としか言えない。

強いて挙げれば「貶(おとし)める」に語感が似ているからか。ビズネス・パーソンが、言葉を器用そうに使いこなしている(かのような)手つきが、そこに透けて見える気がしてならない。

なあんて気障っぽいな。

評者のお二方は、ともにこの言葉を使いそうになかっただけに、あれま! でした。それはこちらの思い込みでしたか?

  ◆ ◆

「落とし込む」を見つけた書評2つ。

週刊文春9月14日号

(1)評者 江南亜美子

 本作は、ウエルベック印である冷酷な批評性とスリリングな物語展開に、短い章立てのリズム感も奏功し、上下巻という大著ながら寝不足必死のページターナーぶりだ。政治劇で終わらず人間の尊厳の問題に落とし込む手つきもいい。

今週の必読 Ⅰ
冷酷な批評性とスリリングな物語
『滅ぼす』上下
ミシェル・ウエルベック 野崎 歓・齋藤可津子・木内 尭[訳]

(2)評者 三宅香帆

 人生で京都に住んだ年数を数えるともう十年近くになるのだが、京都を歩くといまだにその時空の歪みっぷりにくらくらする。時流に乗って数年前にできたばかりのタピオカ屋の隣に、数百年前の歴史を伝える史跡がさらりと並んでいたりするからだ。そのような京都の多重構造(とでもいうべき不思議さ)を、本書はあたたかく、切なく、それでいて面白く、小説に落とし込むことに成功した。

今週の必読 Ⅱ
京都という街の不可思議さと、切なさ
『八月の御所グラウンド』
万城目 学