本の雑誌 2023年6月 No.480 蛇の目ぐるぐる号 特集:理想の本棚を求めて |
「本」マニアにとって、いちばんの悩みは収納でしょう。今号の特集「理想の本棚を求めて」は、「本」マニア読者にとって究極の関心事をとらえているといっていい。まず、表紙の惹句「おじさん三人組、引っ越し中の二十七畳書庫に驚く!」、これだけで「があーん」とやられてしまいます。「おじさん三人組」が取材に赴いた先でも、これは秀逸! かつて、(現在も「断捨離血風録」が連載中の)日下三蔵さんのご自宅訪問もすごかったですが、今回の新築「2LDK+5S」という間取りの説明に感動しました。これがなにを意味しているのか? 驚愕です。
P16
二十七畳もあるこの書庫は、なんと不動産用語でいうサービスルームらしい。建築基準法の居室としての条件を満たしていないので、納戸扱いなのである。
さらに驚くことには、外から見ると、でっかい家なのに、この家の間取りは2LDK+5Sなんだという。書庫の隣の本棚壁紙の書斎と寝室が「2」で、あとのLDK以外の五部屋はすべて窓のない納戸、書庫とフィギュアを飾る部屋と絵を飾る部屋が二つ、そして物置なのだというのだ。
(途中略)
うちは夫婦でブレーキがバカになってるんで(笑)。
頭のなかがクラクラしてきました。
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では、ここから本書の冒頭にもどって、最初から紹介します。
さて、今回の特集について。ここでポイントとなるのが、タイトルは理想の「本棚」であるということなのです。勘違いされそうなので、あえて確認すると、理想の「書斎」ではありません。あくまでも「本棚」です。「本を並べる棚」です。アンティークのデスクや照明は出てきません。
P12
● 理想の本棚見学
おじさん三人組、
二十七畳書庫に驚く!
「書斎」は出てこなくとも、「書庫」はしょっぱなから登場しました。(笑) 新築の家の間取りがすごい。なにしろ「2LDK+5S」ですから。南向きの家なのに、一階は小さい窓が二つあるだけ。「ダンススタジオかと見まがうような広ーーい空間」だといいます。二十七畳! ぐるっと壁一面が造り付けの本棚。しかし、これで驚いていてはなりません。
きわめつけが、床に置く本棚です。なにしろ部屋はダンススタジオのようにガランととしているのです。ここに置くのが、これから届くという、丸善のスチール本棚です。その数が46本。寸法がでていました。
高さ 2m20cm
幅 80cm
奥行き 16.5cm
本棚の背を合わせ、通路を70cmで設置していくと、46台置けるのだそうです。50cm間隔にしてもう1列増やしたかったのですが、50cmでは通れないと言われたそうです。
ちなみに通路にあたる天井にはダウンライトが列をなして埋め込まれています。場違いのように床が白いのは、「白ければ照り返しで下のほうが反射して、本が見やすくなるかと」考えたからだそうです。たしかに70cm間隔で本棚を置くと床のほうは暗くなりそうなので、細かいところまで計算されているとありました。
もちろん、床の補強も念入りです。
P17
● 理想の本棚座談会
無尽蔵に置ける本棚が欲しい!
北原尚彦・永江朗・中野善夫
(司会、浜本さん)
なんといっても中野さんが実行しているというPDF化の話が傑出しています。熱い質問もまじえながら他のメンバーが熱心に聞いていました。
中野さんの話
・(若い頃はもっと買っていたといいますが、現在)買う本の数は、毎月30冊程度。それに対して、PDF化作業の冊数は、多い月で100冊、少ない月でも50冊は実施しているとのこと。本の収支(蔵書冊数)は、確実に減っている。これを聞いて、全員がうらやましそう。
・たとえ(書籍だけではなく)雑誌であっても、ここ50年(くらい前に出版されたもの)であればPDF化している。永江さんによる「コアな雑誌とかも?」という質問に対して、アメリカのSF雑誌なども、PDF化しているといいます。もっとも、さすがに1920年代の「ウィアード・テイルズ」とかはできないとも言っていました。
なにしろ、PDF化するということは「本を裁断」してしまうことを意味します。物体としての「本」の姿を破壊してしまうのです。北原さんは「本を裁断するのはできないな......。」と言います。考え方のわかれるところ。
ちなみにデータはもちろん複数のハードディスクとクラウドに保存だそうです。
ほかに、「あれま!」というところをいくつか。
P23
永江 理想は紙の本をゼロにすることかなあ。電子書籍かスキャンデータとして持っておくというのが理想。
中野 うん。ついでに、できたら自分も電子化したい。
P27
本棚の日本史ーー箱から棚へ ◎書物蔵
■江戸時代は棚でなく箱
実は江戸時代、本の入れ物には「棚」よりもむしろ「箱」が使われていた。小泉和子『家具』(近藤出版社、一九八〇)によると、「江戸時代になると書物の急速な大衆化にしたがって、本箱の方もきわめて実用的で簡便なものとなった。桐・檜・過ぎなどで堅形の箱をつくり、中に一、ニ段棚をつけ慳貪蓋(けんどんぶた)をつけたもので、これは素木のまま用いられることが多かった。よび名もこの時になりはじめて本箱という言葉が出て来た」という。
スライド式フタつきの箱を慳貪箱というが、要するに昭和初期にラーメン屋が出前に使っていたのと同じ構造の箱が「本箱」だった。『当世書生気質』(明治一八~一九年)には、ウヱブストルの大辞典はランプと共に書籍(ほんばこ)の傍らに並立し」などとあり、明治初期に洋書を読む書生も、「ほんばこ」に本を入れていたことがわかる。
■明治三〇年代に本が「タテ置き」に
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P56
続・棒パン日常
思い出した四コマ漫画
穂村弘
何十年も忘れていた小さな記憶が、何かの拍子に突然、甦ることがある。こんなものが自分のどこに眠っていたんだろう、と不思議に思う。匂いとか音とか言葉とか、思い出すきっかけがあることもあれば、ただぼんやりしていて不意に、ということもある。いったいどういう仕組みなのか。
甦る記憶は過去の実体験とは限らない。例えば、小説などの、しかも本筋とは関係のない細部が浮かんだりするのが奇妙だ。先日、思い出したのは数十年前に読んだ四コマ漫画だった。
家族とともに知人の家を訪れたカツオは、帰り際の玄関で挨拶に出てきたその家の女の子の目に涙があることに気づく。その意味について、カツオは考え込んでしまう。もしや、自分のせいでは、と。だが、その日、テレビでは東京オリンピック(もちろん昭和の)の閉会式をやっていた。女の子は帰国する外国選手団を見て、さみしさのあまり泣いていたのだ。もちろん、カツオは知る由もない。物思いに耽る彼の様子を不審に思った家族が「どうした?」と尋ねる。でも、答えは返ってこない。
『サザエさん』である。何冊も読んだはずなのに、これを思い出したのは何故だろう。確かに、どこか不思議な話ではある。テレビの中のオリンピック選手団と女の子の間には膨大な距離がある。彼女がカツオの気持ちに気づくことはない。そもそも眼中にないのだ。もちろん、カツオが涙の真相を知ることもない。
読者である自分だけが神様のようにすべてを知っている。でも、漫画の登場人物に手出しはできない。誰もがばらばらの生を歩むほかなく、ただ死すべき運命だけが共有されている。それが切ない。
本物の神様はやっぱり人間とは違うな、と思う。自分が全員の思いを知り得たのは四コマ漫画に過ぎない。でも、神は世界のすべてを見通しているはずではないか。にも拘わらず、登場人物に対して心を動かしている気配がない。
もしも自分が神なら、我慢できなくて手を出してしまうだろう。それとも、心を動かしている気配がない、というのはこちらの勝手な思い込みで、神様も心を痛めているのだろうか。
まるで北村薫さんの書くもののようでした。いや、違うな。北村さんの「ユーカリの木の陰で」はこんなにもテーマ性を含んではいない。穂村さんの書くこちらは、マルセル・プルーストから遠藤周作にまで跳んでいます。『沈黙』よりも、むしろドストの『カラ兄』「大審問官」のほう? とにかく、一読、忘れられなくなりました。小説ってのはなにを書いてもいい。(漫画も同じかな)。そこで登場する、いわゆる神の視点ってやつ。神学論争とは違う。恥ずかしいな。
これって、どこかで読んだものに似てないか? と考えていて、今思い出しました。林達夫の中公文庫版『共産主義的人間』巻末の庄司薫による「解説――特に若い読者のために」じゃあないですか。園山俊二が長谷川町子に入れ替わったところだったり。あれま! 自分はこの手のレトリックに弱いぞという自覚があるものでして。いや、『赤頭巾ちゃん気を付けて』そのものだったりして。
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P58
ミステリー春夏冬中(あきないちゅう)
恩田陸の入魂長編小説『鈍色幻視行』と
"呪われた小説"が連続刊行!
そういえば本書のPRのための恩田陸さんのインタビューが、どこかのサイトにでていました。2作を書くのは、まったく違ったとのことでした。こんなことは、本来の自分は書くはずもないのに、と思いながら書いたのだとか。
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P92
黄金虫問題
☆5月号三角窓口P213橋本真也氏投稿の黄金虫問題について、北村薫さんが中公文庫『ミステリ十二か月』に書かれていました。著者の許可を得て転載しています。
こんなページがあるから、『本の雑誌』のリピーターがついてくるのですよね。昔からときどきありました。こんな取り上げ記事。
要するに、ポーの『黄金虫』の読み方は、「おうごんちゅう」か「こがねむし」か。少年時代に最初に読んだバージョンに書かれていたことが、脳裏に深く刻み込まれるとか、いろいろ理屈はありそうですよね。それにしても、やっぱり新保博久さんってすごいな。
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P94
●サバイバルな書物(94)
再生医療費払えないから
菜食断食強度運動
=服部文祥
『LIFESPAN(ライフスパン) 老いなき世界』
デビット・A・シンクレア、マシュー・D・ラブラント
梶山あゆみ訳
東洋経済新報社
装丁・橋爪朋世
アンチエイジング本について
・ヴィム・ホフ『サバイバルボディー』
呼吸法で自律神経にアクセスし、冷水浴で免疫能力を上げるという報告
・ジョシュ・ミッテルドルフ『若返るクラゲ 老いないネズミ 老化する人間』
運動と健康の関連を科学するために、無理に運動させるネズミと自由に暮らすネズミを比べる実験をした。運動ネズミは太らないと見込んで、同じ体重を維持する対照群も用意したところ、そのダイエットネズミ群が、一番健康で長生きしたというのが話の核である。
ここにひょんなことから投げ込まれた変化球が
・『あなたの体は9割が細菌』
肥満、アレルギー、ぜんそく、アトピー、糖尿病など、現代病といわれる不健康な症状は、抗生物質とともに出現した。抗生物質(と公衆衛生)は人類の平均寿命を破格的に延ばしたアンチエイジングだが、延ばした寿命分、ゆるやかな不健康も招いたのだ。その原因は抗生物質によって死滅した腸内細菌にある(確定はしていないが状況証拠はたっぷりある)。人類は地球の生態系だけでなく、自分の腸内の生態系も乱している。
そしてこれらの本をひっくるめたアンチエイジングのハウツー本が
・『100歳まで健康に生きるための25のメソッド』
ときどき絶食すること、頻繁に激しい運動をすること、食べるのは腸内細菌の住処となる野菜と雑穀で動物性のタンパク質は少しにすること、が健康長寿の秘訣と明かす。
ハーバード大学の老化生物学研究所では、これらのことを遺伝子レベルで検証し、体内で起こっている化学反応から、遺伝子に隠された秘密までを調べている。そのラスボスが行う報告が本書『ライフスパン』である。
(途中略)
まずはその最新情報をエッセイ風に伝えつつ2章の最後で問いかける。
「それ(アンチエイジング)は正しいことなのか?」
そう、そこなのだ。(途中略)アンチエイジングは不自然でいかがわしいことなのか。
このあと紹介される現在の臨床実験段階の成果?は驚くしかありません。
生き物は、死なない程度に厳しい環境(飢餓、寒さ、定期的な激しい運動)に晒されると若返る。ネズミやサルの実験で得た結果がそのまま人にあてはまるなら、人は一二〇歳まで生きるらしい。
もういいや、という気になってきました。
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P132
今月書いた人
●北村薫
中古を買ったワープロが昨年末、ダウン。調子が悪くなり十年ぐらい寝かせてあった三代前のワープロを出してきたら、何とか使える。寝ていたのがよかったか?
調子が悪くなったらたたいたりするのでしょうか?
ファックスの調整をしに自宅に来た担当者に向かって、小林信彦さんが「ビリッときませんか?」と聞いて失笑されたという話があります。泉鏡花は(道路を歩いていて)電線の下をくぐるときには、魔除けのように額のあたりに持っていた扇子をひらいていたのだそうで。
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