[NO.1599] 日本エッセイ小史/人はなぜエッセイを書くのか

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日本エッセイ小史/人はなぜエッセイを書くのか
酒井順子
講談社
2023年04月24日 第1刷発行
223頁

「エッセイとはなにか」、考えても答えが出ないままもやもやした気分は晴れない。それが文学の大家でも同じだったとは。なんだか安心したような肩透かしをくったようなあいまいな気分です。

1985年から2018年まで続いた講談社エッセイ賞の審査委員たちの間でも、「その答えはでなかった」と本書にありました。あはは、です。

本書を読むきっかけは「週刊ポスト2023年6月23日号」の嵐山光三郎さんによる本書についての書評でした。全文がネットで読めます。リンク、こちら 

本書を読むにしたがって、なんだか嵐山さんのここで言っていることは、ちょっと違うような気にもなってきました。

本書の初出は小説現代2020年9月号~2022年3月号連載「人はなぜエッセイを書くのか 日本エッセイ小史」を改題して書き下ろしを加え、再構成したと巻末にあります。改題したのはタイトルと副題を入れ替えただけ。こんな不思議な説明は初めてではないでしょうか。そして、そのことが今回本書を読んで得た感想とうまい具合にマッチしました。

「人はなぜエッセイを書くのか」、当然その答えを求めて読み進めます。ところがしばらくして抱く感想は、「あれ? これってエッセイにまつわる文学史みたいじゃないか?」というものでした。

日本の明治以降から現代までのベストセラーを取り上げながら、その時代の出来事、世相を紹介した読み物があります。まるでその「エッセイ版」を読んでいる気分になりました。高校時代に使った副読本の文学史(の近現代の部分)を読んでいるみたいです。もっともそのなかのエッセイという限られた分野なのですが。
酒井順子さんは生真面目なのでしょうか。あれもこれも網羅しなくてはならないというようにいくつもの書名が並びます。まるで文学史のエッセイ版というふうなのです。巻末に丁寧な「本書に登場するエッセイ作品一覧」があります。その数163冊でした。

本書の眼目は「エッセイ小史」ではなく「人はなぜエッセイを書くのか」の方が主題だったはずです。本書の腰帯にあるように、もちろん「エッセイと随筆とコラム、どう違う?」という問いだって魅力的です。少なくともエッセイ小史よりは、です。本書を読んでいて、筆者の生まれた年を確認してしまいました。まるでその時代を見てきたかのような世相の記述なのです。もちろん資料にあたって調べたのでしょう。読者はそこよりも、むしろ目のつけどころが「斎藤美奈子」さんのような指摘に魅力を感じるのではないでしょうか。(斎藤さんはデビュー作『妊娠小説』以来、目のつけどころというかその切り口が特徴です。)

たとえば、P095「つるむ」という芸 という文章です。ここでは赤瀬川原平さん(ペンネーム尾辻克彦)について紹介しています。

尾辻克彦名義で芥川賞も受賞している赤瀬川原平さんは「路上観察学会」なる会を結成していました。1980年代からの、酒井さんいわく「昭和末期」です。会員は藤森照信、南伸坊、松田哲夫といったメンバーでした。

P097
(略)『東京路上探検記』を読んで私が感じるのは、「この頃の男達は、よく群れている」ということでした。「群れる」とか「徒党を組む」という言い方はイメージがよくないかもしれませんが、エッセイ賞の初期、すなわち昭和末期までの受賞作の著者達は、様々な才能を持つ人々と集うことによって互いに刺激をもたらし合い、創作に生かしていたように思われる。

といいます。(ここでエッセイ賞というのは講談社エッセイ賞のこと。1987年、第3回の受賞が『東京路上探検記』文・尾辻克彦、絵・赤瀬川原平でした。)

酒井さんは「群れる」仲間として以下をあげています。

酔狂連
 野坂昭如、田中小実昌、小中陽太郎ら。

昭和軽薄体系
 嵐山光三郎は深沢七郎の「夢屋一家」の出身であり、また糸井重里や南伸坊、ゲージツ家の篠原勝之や村松友視らと交友

椎名誠は、嵐山との交友関係が重なる他にも、若い頃からの仲間である「あやしい探検隊」等を主宰していたことが有名。あやしい探検隊によるキャンプ等の活動は、シリーズとなって書籍化されている。

「昭和軽薄体」に「系」を付けた呼び方は、初めて目にしました。「昭和軽薄体系」、まるで若者に人気のラーメン店チェーンの「〇〇家系」のようです。この呼び名自体がすでに特定の命名をされていたのではなかったでしょうか。もっとも硯友社系なんて呼ばれると違ってくるのかな。組織名に系をつけるのって、なんだかな。

「あやしい探検隊」に至っては、失礼ながら笑ってしまいました。「東ケト会(東日本何でもケトばす会)」が「第1次あやしい探検隊」でした。