古本屋写真集の大発見

『本の雑誌2022年3月号』から
p104
連続的SF話●454
古本屋写真集の大発見
●鏡明
「野呂邦暢 古本屋写真集」に映っていた「S.F空想科学小説選集」のこと

いやはや、びっくりした。こんな本が出ていたなんて、まるで知らなんだ。この手の本は買い逃してしまうと、あとからはなかなか手に入りにくくなってしまうことが多かった。もっとも、最近ではAmazonでごく安く変えてしまえることに驚きつつ、ちょっぴり残念に思うこともあったりするけれども。いずれにしても、もたもたしていないで、ちゃっちゃと注文しないとな。

「野呂邦暢 古本屋写真集」が文庫化された。作家の野呂邦暢が撮影した、神保町や早稲田、渋谷といった都内の古本屋の店頭や書棚の写真をまとめた本。オリジナルは500部だったという。何となく知っていたけれども、実際に見たのはこの文庫本が初めて。どのような目的で撮影したのかわからないが、スナップ的なもので、画質や構図にこだわったものではない。それがまたいい感じなのだ。一九七六年前後に撮影されたものだという。わたしが知っている古本屋が次々に出てきて、確かにこんな感じだったよな、記憶が戻ってくる。実を言えば、わたしも自分が行った店やレストランの写真を撮りたいと思ったことがある。三十代の半ば位だったか、パリやロンドンに行くようになった頃だった。が、もちろん、実行はしなかった。面倒だというところもあったが、それ以上に自分が覚えていれば良いのだ。そう思ったのだ。自分の記憶力がこんなに簡単に衰えるなんて考えもしなかったのだ。愚かです。
 料理屋店構えの写真を撮っているのが当たり前になりつつある。インスタ映えなんだそうだが、料理よりも写真の方が重要という感じで、いらつくことがある。早く食えよ、そう言いたくなる。でも、あとになってああした写真が記憶を蘇らせる手段になるだろうから、文句を言うつもりは無い。それでも古本屋の写真を撮るところまではいかないだろうな。野呂邦暢、立派です。

 「愚かです。」と「野呂邦暢、立派です。」の韻を踏んでいるところがなんとも。このあと、古本屋の写真に鏡明さんが買った本が写っているのを発見したという興奮話が展開していく。

店の名前がわからないものをまとめた「店頭スナップ・他」の中の一枚だったのだけれども、「S.F空想科学小説選集 古典シリーズ 既刊分41冊」という紙が貼ってある。価格は¥六七,五〇〇。わたしの記憶では七〇〇〇〇円以上だったような気がするが、とにかく、これを買ったのはわたしです。
 本屋の名前は覚えていない。東京泰文社と神保町の交差点の間だったのはたしかで、そこで洋書を扱っていたのは北沢の支店だったから、そこで間違いは無いだろう。その頃、わたしは毎週一度は神保町に行っていたと思う。東京泰文社から淡路町に近いブックブラザーまで歩く。その頃は地下鉄は無かったから、バスか国電、今のJRですね、それを使っていた。もしかしたらまだ都電があったかもしれない。どちらにしろ、神保町に行くのは簡単ではなかった。以後略

「とにかく、これを買ったのはわたしです。」というのが可笑しい。気持ちはわかる。とてもよくわかる。引用の最後にある都電云々は間違いだろう。靖国通りのこのあたりから都電が消えたのは76年よりも数年前のことだ。JJ植草おじさんが九段坂を都電でおりながら、今日はどんな収穫があるのかわくわくしていたというのも、70年代のごく初めではなかったかな。あるいは60年代の終わりころかもしれない。