[NO.1554] 眠そうな町/武田花写真集

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眠そうな町/武田花写真集
武田花 
出版社 アイピーシー
1990年03月25日 初版第1刷発行

武田花さんが道ばたの猫を撮影した写真集を出して話題になったことがあった。1980年代の初めころのことだった。花さんは武田泰淳と百合子の娘さんだということで、ちょっと話題になった。それで書店の平積みに並ぶのを手に取った記憶がある。なにしろ武田泰淳といえば第一次戦後派作家として有名だったし、百合子さんは『富士日記』が話題になった。

それから約40年。この写真集『眠そうな町』のことは、まったく知らなかった。第15回木村伊兵衛写真賞受賞写真集だという。どうやら、道ばたの猫を撮った次に選んだ対象は、北関東の町だったらしい。巻末に、ご自分で書いた紹介があった。

 一九八七年から約二年半、浅草から東武伊勢崎線、更に乗り換えて、佐野線、桐生線などの電車に乗り、沿線のいろいろな町に行き、いろいろな景色を見て、写真を写しました。
 晴れた日の真昼間、人通りの少ない見慣れない町を歩くのは、楽しく良い気持ちでありました。  武田 花

引用するにも、この本にはページの表示がなくて困った。もちろん、目次も存在しない。

群馬県桐生市末広町
栃木県足利市緑町
栃木県足利市井草町
栃木県足利市借宿町
群馬県桐生市稲荷町
群馬県桐生市末広町
群馬県太田市飯田町
群馬県桐生市稲荷町
群馬県桐生市末広町
埼玉県草加市高砂町
埼玉県草加市住吉町
群馬県館林市本町
栃木県小山市中央町
栃木県佐野市若松町
埼玉県草加市高砂町
群馬県桐生市仲町
群馬県桐生市稲荷町
栃木県足利市大門通
町に出てゆく――スズキコージ(画家)
埼玉県草加市
栃木県足利市緑町
埼玉県草加市吉町
群馬県前橋市
群馬県桐生市末広町
群馬県館林市本町
群馬県太田市本町
栃木県足利市野州山辺駅
栃木県足利市家富町
群馬県太田市東本町
栃木県足利市通
埼玉県羽生市西町
群馬県桐生市仲町
群馬県太田市飯田町
群馬県桐生市稲荷町
群馬県桐生市小曽根町
群馬県桐生市末広町
埼玉県草加市高砂町
群馬県桐生市仲町
栃木県足利市通
栃木県佐野市若松町
埼玉県草加市吉町
栃木県足利市通
栃木県佐野市大町
埼玉県草加市吉町
埼玉県草加市稲荷町
栃木県小山市城山町
埼玉県草加市中央町
迷子が見つけた隠れ里――川本三郎(評論家)
栃木県佐野市伊賀町
群馬県太田市飯田町
群馬県桐生市末広町
栃木県足利市田中町
栃木県足利市緑町
群馬県桐生市本町
栃木県佐野市若松町
群馬県太田市本町
群馬県桐生市本町
群馬県太田市飯田町
栃木県小山市城山町
群馬県桐生市東
栃木県足利市栄町
栃木県足利市通

こうして、それぞれの写真についているキャプションの地名を抜き出していると、途中でこんがらがってきて、むなしくなる。ときどき右側のページに空白のところがあった。そんなことをしたら、ページがもったいないだろうに。なにか意図があったのだろうか。もしかすると、あとから掲載できない事情でも生じて、削除された写真があったのだろうか。もし、そうだとするなら、それはどんな事情でどんな写真だったのだろう。

ここで、どうしてこの地名を抜き出す作業をしたのかというと、なにか法則性のようなものが見えてこないかという気がしたからだった。こんな地名の連続を見ていたって、ちっともおもしろくない。それより、むしろ、写真に写った飲み屋の看板の文字などを抜き出したほうがおもしろい。すごい名前の店があったりするし。

それでも、(地名を抜き出していて)少しは気づくことがあった。

・群馬県前橋市が一枚だけ選ばれているのは、なぜか。
・そもそも、ぜんぶの配列の意図は何だったのか。なにか、意図するところがあったのだろうし。
・もっというと、どういう理由からこの地域を選んだのだろう。東武伊勢崎線が浅草始発というあたりも関係あるのかな。

1987年からの約2年半という年代は、ちょうどバブルに向かっていくあたりだったかな。安普請の建物が、次々と壊されては建て替えられていたころ。そんな新しい建物のすき間からは、半分壊れたような終戦直後の建物が顔をのぞかせていたりして。

スズキコージさんの「町に出てゆく」と題した文章がよかった。夏になると海パンに着替え、日がめったに差さない庭、水道から引っ張ったホースで風呂代わりの水浴びをしたという。おそらくアパートや町工場の密集した地域だろう。僕がシャンプーをつけて頭を洗出すと、工場の食堂から見ていたおばさん達がゲラゲラ笑いが起こる。狭い部屋に戻って着替えを済ませると、食事をしに町に出てゆく。

 ボロボロの煉瓦の壁の小さな飲み屋がある横町に入ると、そこには、日がさしていて、いつも夜しか来ないので奇妙な感じ、その飲み屋の裏手には、人の住まない腐った木造二階の建物が貼りついていて、雑草のおい茂った中に、ねじ曲がった自転車や、こわれたテレビのブラウン管の中にもぐり込んだ雑草などが、互いにからみ合って一体となっている。
(途中略)
 やがて、気が付くと、線路の下の狭いコンクリトンネルをくぐって、僕は五百円のうな丼、松をたのんで店の椅子に座ってお茶を飲んでいた。

ここでは「画家」とあるけれど、今は絵本作家になっている。川本三郎さんはなんとなくわかるとして、どうしてここにスズキコージさんの文章が載っているのか知りたくなった。