読む京都 入江敦彦 本の雑誌社 2018年03月10日 初版第1刷発行 237頁 |
ネットを見ていると、あるブログのなかで『読む京都』の文字を目にした。それは、自分でも興味深く読んだことのある本の題名『読む京都』のことだった。そのブログでは、しかも見覚えのある数行が引用されている。自分でも『読む京都』のなかから、かつて同じところを引用した記憶があったので、なんだか嬉しくなった。ところがいざ確認してみると、自分の書いたはずのなかに見つけることができない。どうやら、まったくの勘違いだったというオチ。
2016年新書大賞になった『京都ぎらい』の著者井上章一さんが、建築科の学生として杉本秀太郎氏の住居を調査で訪問したときに言われたことば。これがインパクトのある内容だったので、てっきり自分でも『読む京都』の読書録に引用したものとばかり思っていた。ところが確認すると、まったくそのことに触れてもいなかった。記憶の改ざんというやつだろうか。キーボードを打って、入力した気がしたのですがねえ。
『読む京都』は、あまりにも引用したい箇所が多すぎて、途中で息切れしてしまったようだった。とにかく付箋紙を大量に貼った記憶が残っている。
【追記】
『読む京都』(入江敦彦著/本の雑誌社刊)を読み返してしまった。これで、いったい何度目になるのやら。内容がてんこ盛りなのに加えて、文体が面白くて、読み出したら止まらない。
例の引用されていたところも、再読。
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まずはセンターボーカルの(もうええちゅうの)杉本。『京都ぎらい』のなかで井上は京大建築科ゼミ生だったころに調査に訪れた彼の住まい、重要文化財杉本家住宅での会話を紹介している。「君、どこの子や」と訊かれ、嵯峨だと答えたところ、それは懐かしいと感想が返ってきたという。「君、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥(こえ)をくみにきてくれたんや」と。
これがイケズかどうかは断言できないけれど、充分にイケズになり得る言い回しではある。しかし(以下略)
延々と引用したくなる。(読みふけるのが止まらない)。
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