[NO.1542] 戸越銀座でつかまえて

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戸越銀座でつかまえて
星野博美
朝日新聞出版
2013年09月13日 第1刷発行
273頁

著者星野博美さんの本を読むのは2冊目。先月、[NO.1533] 旅ごころはリュートに乗ってを読んでいた。それとはだいぶ違う内容だった。

一人暮らしに疲れ、両親の住む生まれ故郷の戸越銀座へ帰ってきた毎日が綴られている。そのひとつひとつが面白い。生まれ故郷へ帰ったといっても、それまで一人暮らしをしていたのは同じ都内の武蔵野市。そこから戸越まで、電車ですぐの距離だ。故郷へ帰るといったって、新幹線を使うわけでもなく、大して時間もかからない。

それなのに、おかしい。

生まれ育った戸越で、知りあいと出会ったときの挨拶が難しいという。その分類から抜粋

P20
一、顔に見覚えはあるが、知らない人。
二、顔と名前は一致するが、親の知りあいというだけで自分は直接知らない人。
三、親も自分のよく知っていて、仲のいい人。
四、よく知っているが、あまり良好な関係とはいえない人。
五、よく知っていて関係も良好だが、話の長い人。

「ぼやーっと歩いていても」、これだけのカテゴリーの中からどれにあたるのかを瞬時に識別、対応せねばならない。その対応が、またおかしい。

無反応
なんとなくスルー
曖昧な会釈
確固たる会釈
はっきり挨拶
積極的に会話
できれば回避

こりゃあ、読んでいて面白くないわけがない。

出歩く範囲として挙げてある地名。戸越銀座、戸越公園、荏原中延、旗の台、武蔵小山、西小山、不動前、五反田、大崎。かなり元気があれば大井町。
数あるエッセイの中から秀逸なのが、P57「ウィンナーコーヒー」のはなし。冒頭を書き抜くと、

P57
戸越銀座商店街に「シャルマン」という老舗喫茶店がある。店の奥には目黒にある大鳥神社の大きな熊手が飾られ、その向かいには若き日の美川憲一の巨大パネルが、埃をかぶったまま何十年も掲げられている。女主人がファンなのであろう。

なんだか向田邦子みたい。もちろん、ウィンナーコーヒーには(タコの)ウィンナーがはいっているのか? というかつてあった定番のやり取りが紹介される。星野さんが子ども時代におじさんに連れて行かれ、はじめてウィンナーコーヒーを飲んだのが、この店だった。

テレビドラマの舞台として登場もした。

P60
それはTBSで放映した「STAND UP!!」というドラマで、まだ超売れっ子になっていない頃の二宮和也、山下智久、小栗旬、成宮寛貴が主人公の、ありていに言えば少年の発情期をテーマとした、抜群にドライブ感のあるB級ドラマだった。

タレントさんのファンから叱られそうな気もするが、「ありていに言えば」からが、星野さんの意図的にねらって書いているのことろなのではないかな。

初出は「週刊朝日」2008年7月18日号~2009年9月11日号連載を、大幅に改稿したとある。元の記事では、どう書かれていたのだろう。

戸越銀座は下町だと星野博美さんはいう。よく言われる東京の下町と戸越銀座の違いに、銀座への出やすさがあるらしい。「運賃が安い」という理由で、銀座へ出かける人が多い。地下鉄都営浅草線ですぐの銀座。星野さんが子供のころ、近所のおばあさんを銀座の歩行者天国で見かけた。その風貌は、まるで宮本武蔵。着流しの浴衣のような質素な着物。おくれ毛が四方八方に飛びだし、乱れた髪。その異様さに通行人がよけて歩いていた。

 ◆  ◆

P216「二〇一一年三月一一日」の記述が興味深かった。東日本大震災で、あのときに星野さんが目にしたこと、考えたことが日記のように書かれている。

翌日の朝、戸越銀座のお年寄りたちは区立の敬老センターへ向かって歩いていた。そこでは、カラオケや輪投げといったレクリエーション、無料のお風呂に入れる。つまり、いつもどおりの行動をしていたのだ。商店街はというと、閉まっている店など一つもなかった。これが戸越銀座の翌日だった。

14日になると異変が起き出した。トイレットペーパーや箱入りティッシュ、カロリーメイト、携帯カイロ、マスク、乾電池が店頭から消える。最寄りのガソリンスタンドでは渋滞が起きた。

15日、スーパーのカップ麺、菓子パン、クッキーやビスケット類などが棚から消えた。買い占めである。続く観察が光っている。米の袋は山積みのまま、乾麺もたくさん売れ残っているというのだ。このギャップから考える。それらの光景を奇異に思ったという。

かつて、星野さんが暮らしたことのある香港で、災害に見舞われ、物資不足が心配される事態に陥ったとしたら、真っ先に店頭から消えるものは何か? 米、水、そして現金だという。トイレットペーパーや箱入りティッシュは、たぶん考えつきもしないだろうとも。なぜなら「それがなくても死にはしないからだ」。

(直接に)被災していない日本人が軽いパニックに見舞われ、「最も渇望する商品がトイレットペーパーやカップ麺や菓子パン」であることは、日本(人の心)を象徴しているように見えたという。この指摘が新鮮だった。

もっとも全部が全部、うなずけるものでもない。たしかに流言に流された人も多かった。けれど、停電や断水の恐れが、まったくなかったともいえなかったのではないか。渦中にいたときには、先が見えない。去年のマスク不足騒動を思い出す。そういえば、マスクと並び、トイレットペーパーと箱入りティッシュが(同じように)買い占められた。