[NO.1514] ぜんぶ本の話

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ぜんぶ本の話
池澤夏樹 池澤春菜
毎日新聞出版
2020年06月20日 印刷
223頁

本書は、文学者の父・池澤夏樹と声優、エッセイストの娘・池澤春菜のふたりが、「読書のよろこび」を語りつくした対話集です。
「本は生きもの」と語る父。「読書の根本は娯楽」と語る娘。児童文学からSF、ミステリーまで、数多くの本を取り上げ、その読みどころと楽しみかたを伝えます。池澤家の読書環境やお互いに薦めあった本、夏樹さんの父母(春菜さんの祖父祖母)である作家・福永武彦や詩人・原條あき子について等、さまざまな話題が登場。さらに巻末にはエッセイ「福永武彦について」(池澤夏樹)、「ぜんぶ父の話」(池澤春菜)も特別収録しています。 出版社サイトの紹介から リンク、こちら 

親子による対談集。文章はさらっと読めるのに中身が濃くて読み飛ばせないところ多し。家庭環境の話、池澤春菜さんが脚本家の仕事をしていたことなど、目新しい話題もあり、興味がわいた。

構成は、最初が児童文学、少年小説について。そもそもの読書歴の始まり。おもしろい。続いてジャンル別で、SFとミステリー。SFの方が比重が高い。最後が「読書家三代」としてサブタイトル「父たちの本」。池澤夏樹と福永武彦とのあれこれがおもしろい。巻末は、エッセイとして「父の三冊」。選定した内容とそのあれこれ。興味は尽きない。最後にちゃんと「本書に登場する主な書籍」一覧も。そうそう、それぞれの章はじめに載る書影写真もいい。読み込まれてよれよれな様子も見える。

◆ ◆

春菜さんが話題にした児童書『ムギと王さま』(エリナー・ファージョン作、エドワード・アーディゾーニ絵、石井桃子訳、岩波書店刊)の挿絵がいい。子供のころ、自宅の梯子状階段を上っていった屋根裏部屋で、挿絵と同じように食い入るように父の蔵書を読んでいたという。目に浮かぶ。

二人して日本の児童文学を否定しているところが納得。

父が推す『海に育つ』(リチャード・アームストロング作、マイケル・レスツィンスキー絵、林克己訳、岩波書店刊)がよさそう。やっぱり挿絵がよくないとね。知らざる名作として父が挙げているのが『水深五尋』(ロバート・ウェストール作、金原瑞人訳、岩波書店刊)は、翻訳版挿絵が宮崎駿。これも興味がわく。海洋ものが多い。

「読書の最初の記憶――池澤夏樹」に出てくる。読書の最初の記憶というのが創元社の「世界少年少女文学全集」今も手元にあるという。これは実父福永武彦が毎月届くように手配してくれたのだそうだ。なるほど、としかいえない。1953年~1961年刊というから長い。いったいどんな受け取り方をしていたのだろう。新しい親御さんのことまで考える。それを今でも手元にあるというのだ。

SFで父が推す『文字渦』(円城塔、新潮社刊2016年)、日本SF大賞受賞作、気にしていなかった。

「SFの未来」として春菜さんがいう内容がおもしろい。

P109
(時間ものの話題で)面白いものはあるけど、全体としては行き詰まった感がある。歴史改変物は結局パズルの組み換えであって、そこから大きな物語にはなりづらいと思う。一時はよくとりざたされた言語実験やポストモダン文学、メタフィクションもあまり聞かないし。

なるほど、そういうことか。円城塔がいる今という時代。

おもわず笑ったのが、春菜さんの中学時代の友達だったキヨちゃん、父親が半村良。二人が当時交わした会話が微笑ましい。

これも父が紹介している『モービー・ディック・イン・ピクチャーズ』(柴田元幸訳、スイッチパブリッシング刊、2015年)

P123
『白鯨』を各ページごとに文章を一部抜き出して、残りをイラストで埋める、それを全ページでやった大作

「旧訳・新訳問題」から

P125
夏樹 そう。翻訳自体のよしあしもあるけど、そもそも時とともに日本語が変わっていくわけで、その意味でも新訳は必要だよ。『オン・ザ・ロード』だってそう。もとは『路上』の書名で出ていたんだけど、青山南が『オン・ザ・ロード』として新訳した。

書店の棚で、翻訳もののスペースがどんどん減ってしまい、とても追いつけない。そんなことがあったとは。

P130
春菜 (ブラッドベリについて)唯一無二かも。湿っぽいのにカラッとしている。真似しようとしてもできない。ブラッドベリは日本でも人気があるけど、それも納得。日本人ってそもそもリリカルでウェットなものが好きなんだと思う。だからケン・リゥウが受ける。あとラヴィ・ティハーやマイケル・コーニイ、『たんぽぽ娘』も。

個人的にはブラッドベリは好きになれないのだが、これには納得。

「SFとAI」から
『歌う船』シリーズ。どれもおもしろそう。シリーズ三作目『戦う都市』、シリーズ五作目『魔法の船』、どれも彼らの話を聞いていると、読みたくなる。

「テセウスの船」問題を春菜さんが提起すると、父は知らないという。

P135
春菜 人間も同じで、身体のパーツを一つずつ人工物に置き換えたり、機能拡張していったら、「どこまでがヒトで、どこからヒトではない」ということになるのか?
夏樹 それはトマス・ピンチョンの『V.』のテーマだ。

読ませますねえ。このあたり。

P137 『ブレードランナー』レプリカントから、「魂とSF」について。池澤夏樹は自分で書いた『科学する心』(集英社インターナショナル刊、2019年)について触れている。ロボットや人工知能には欲望、自意識がないから人間に反抗するなんて考えることはナンセンスだという。価値判断できないからだとも。

命のない彼らには自己保存本能も生存欲もない。「子孫繁栄の思想もない。早い話がプラグを引っこ抜けばいいだけなんだ」。

P138
春菜 その点をうまく描いたのが、ホーガンの「造物主(ライフメーカー)」シリーズだったと思う。
夏樹 ああ、そうか。今度そういう視点で読んでみよう。

数多く出ているSFガイドブックの中で二人が推すのが『サンリオSF文庫総解説』(槇眞司・大森望編、本の雑誌社刊、2014年)だという。

父のトイレの棚には『本を読む』(松山巌、西田書店刊、2018年)が置いてあるという。SFから一気に飛ぶところがおもしろい。881頁もあって、とても通読はできなかった。父はちょびちょびトイレで読むのにちょうどいいという。

ミステリー編から

春菜さんはチェスタトンが好きという。特に『ポンド氏の逆説』。知らない。手にしてみようか。

笠井潔の「矢吹駆」シリーズの解説を夏樹氏が書いていたという。このシリーズは何冊か読んだことがあった。独特の語り口で引き込まれた記憶あり。だいぶ前のことだったような。笠井潔の兄と夏樹氏は高校時代からの友達だったとも。

夏樹氏は結城昌治と仲がよかった。父福永と交友関係にあったことが、福永のエッセイに出ていた。春菜さんは結城昌治から白いうさぎのキーホルダーをもらったという。つながるなあ。

P147
(結城昌治はサナトリウムで福永からミステリー、石田波郷から俳句を教わったということを受けて)
夏樹 その体験でわかる通り、結城さんのバックグラウンドには俳句がある。だから作品がユーモラスなんだ。どこかでクスッと笑わせる。ぼくもユーモアなしでは文体が作れないけど、それは結城さんとジェラルド・ダレルから学んだことだね。

「ユーモアなしでは文体が作れない」というのは不思議な表現だ。

この後のところで、夏樹氏が父福永のミステリーものを評している。

P147
夏樹 加田伶太郎(福永のペンネーム)はよくも悪くもトリックだけで小説を作っているね。もっともあれぐらいが限界だという気もする。趣味だからいいんだが。

この突き放した表現が目をひいた。それは福永関連で後半に話題となった中村真一郎にもいえる。春菜さんは何度も冷静に見ていると評していた。

宮部みゆきについて、二人のやりとりがおかしかった。

P152
夏樹 そういえば、以前ぼくが何か賞を獲ったとき、彼女が花を贈ってくれたことがあった。「ほとんど会ったことがないのに」って、ちょっと驚いたな。
春菜 それはひょっとして、わたしが宮部さんに「宮部さんのこと教えてくれたのはパパです」って何度も言ったせいかもしれません。
夏樹 なんだ、そういうことか(笑)。

春菜さんと宮部みゆきって、そういう間柄なんだね。

P160からの「読書家三代」には驚いた。福永武彦との間柄を赤裸々に語っている。週刊誌暴露ものくらいに、具体的。自分がデビューするきっかけなども語っている。春菜さんも別名で実はこれまで脚本を書いていたんだと告白しているし。

『草の花』が出たことで(私小説的だったため)、「周囲をすごく傷つけた」という。『海市』もモデル問題があったとも。それに対して、夏樹氏は私小説的なことはいっさい書いていないのだが、唯一

P170
夏樹 (途中略)だから、ぼくの小説には、自分の身辺からとった人物も状況もほとんどない。カンナちゃんだけは例外かもしれないけど......。
春菜 私もそう思った。「ヤー・チャイカ」に出てくるカンナちゃん。あの子は、私と妹を足して二で割ったイメージでしょ。
夏樹 まあね。(以下略)

最後に、それぞれの父の書いた中から三冊を選んでいる。

◎池澤夏樹が選ぶ福永武彦の三冊
『深淵』(『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集17』河出書房新社収録)
『世界の終わり』(同)
『廃市』(同)

◎池澤春菜が選ぶ池澤夏樹の三冊
『マシアス・ギリの失脚』(新潮社、一九九三)
『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』全三十巻(河出書房新社、二〇〇七~二〇一一)
『同 日本文学全集』全三十巻(同、二〇一四~二〇一九)
『いつだって読むのは目の前の一冊なのだ』(作品社、二〇一九)

いいぞ、と思ったのが、春菜さんが三冊に付け加えていた一冊があったこと。「ちょっと悔しいのでオマケの一冊」だそうだ。

『Dr.ヘリオットのおかしな体験』(集英社、一九七六)。これは大好きだった。どこかに紛れているが、処分などしていない。