[NO.1513] ヤクザときどきピアノ

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ヤクザときどきピアノ
鈴木智彦
CCCメディアハウス
2020年04月07日 初版発行
169頁

この春先、幾つかの書評で取り上げられていた。たしかに異色の出版物ではある。なにしろ著者の経歴と職業が目をひく。ちょっと風貌が安部譲二を思わせると思ったら、若い頃に渡米したとき、「安部譲二の元・舎弟だという人物と知りあい、(その道に)興味を持つようになる」とネットに出ていた。なるほど。

音楽だとか、ましてやピアノなどとは縁遠そうな著者が、ABBAのダンシング・クイーンを演奏できるようになるまでの山あり谷ありが書かれている。扱う分野は違えども、もともとがライターという職業なので文章を書くのは慣れており、なぜピアノ演奏を始めようと思ったかだとか、どのようにしてピアノ教室に入門したのかといった事情について面白おかしく読むことができる。

圧巻は発表会だろう。YouTubeにアップされているので、だれでも見ることができる。それが思わず笑ってしまうのだ。緊張している様子がなんともいえない。本人いわく、死んでしまうので、自分では見ていないとのこと。

表紙のイラストでは、無骨そうな坊主頭のおじさんが真っ黒なサングラスをして、ピアノに向かっている。人物のバックには演奏曲であるABBAのLPジャケット。これだけで十分に引きつけられる。本文冒頭のつかみも面白かった。いつも取材に時間を掛けすぎてしまう著者が、台風の中、軽トラックで北海道まで強行軍を慣行すると、たまたまそこで北海道胆振東部地震が発生してしまう。これだけでも立派な読み物として成り立たせるほどの出来事だ。本文の始まりのところだけで、すでに著者の仕事と人柄が十分に理解させられる構成だった。まるで週刊誌のルポを読むよう。

◆ ◆

本書での重要な人物にレイコ先生がいる。ピアノの師匠だ。

著者にとってのピアノ教室というものは、どれだけ新鮮なものだったろうか。なにしろ職業がその道の面々を扱うルポライターなのだから。ABBAのダンシング・クイーンを弾きたいという思いに応えてくれるレイコ先生の描写が面白い。すっかり信頼しきっているのがわかる。

P026
これは取材ではない。相手に合わせる必要はまったくない。主役はあくまで俺であり、レッスンは俺が楽しくなくてはならない。ならば大事なのは人間の相性だ。合わない人間とは、なにをやっても摩擦が生じる。

これは赤ペン片手に何軒も電話をかけ続ける場面で。なかなか著者の要望どおりを受け入れてくれるピアノ教室はない。やっと出会えたレイコ先生との場面が最初の山場。「なにを訊(き)いても言い淀(よど)まない」レイコ先生が弾いてくれたリストの『ラ・カンパネラ』に衝撃を受ける。やっぱりグランドピアノっていいのだろうな。アップライトとの違いが説明されていたのを読むと納得する。構造からして演奏に向いているのだという。

このあたりの描写が読ませる。あわせて本書では何冊もの音楽関連書からの引用が挿入される。著者の荒っぽい職業体験でのエピソードや週刊誌ルポ風の文体とのギャップがおかしい。巻末には「参考文献」が29冊も挙げてある。29冊目などは原書。

もともとロック音楽を愛好していたという著者は、その後次第にクラシック音楽を聴くようになった。もちろんピアノ演奏は今も続けている。なんでも実際に体験するのは面白いもの。

本書でいちばん印象に残っているのが次のフレーズ。YouTubeにアップされている緊張した発表会を終えて、

P159
「いつも練習の時は弾けるんです!」