本の雑誌の坪内祐三 坪内祐三 本の雑誌社 2020年06月25日 初版第1刷発行 397頁 |
WEB本の雑誌の紹介(リンク、こちら) から引用
1991年から2020年まで「読書日記」以外にツボちゃんが「本の雑誌」に書いた原稿、対談、座談会、その他三角窓口の投稿や近況コメントまですべてを収録
もちろん詳しい「目次」も見られる。「本の雑誌」にも載っていた「訂正」が、ここにもあった。
■『本の雑誌の坪内祐三』の口絵16ページ「坪内祐三の本棚」説明文冒頭に誤りがありました。謹んでお詫び申し上げ、下記の通り訂正させていただきます。
誤「3LDKの仕事場(1~9頁)と3LDKの自宅(10~16頁)」
正「3LDKの自宅(1~9頁)と3LDKの仕事場(10~16頁)」
これは大事なこと。「絶景本棚」ではなくて、坪内祐三の自宅と仕事場なのだから。仕事場の寝っ転がった跡がうかがえるソファーの写真など、こんな生々しいのが見られるとは思っていなかったし。
そういえば、「本の雑誌」4月号の特集=さよなら、坪内祐三でも似たような写真が載っていたぞ。っと、比べてみると、同じだった。ますます記憶に自信がなくなる。
◆ ◆
本の雑誌に載ったすべて、とある。三角窓口や近況コメントまで。特に近況コメントの文章は飛び出ていた。特定の人名を挙げて、呼びかけるのは目立った。くすっと笑えたし。
◆ ◆
本の雑誌へは、いろいろなかかわり方をしていたのがわかる。差し入れするほどの人だものな。
坪内祐三は、「雑文」と「座談」が好きだったのだろう。出版社、編集が好きで。文春に入社したかったとあった。どこまで本当かはわからないけれど。
P168
(〈『雑誌記者』池島信平、中公文庫〉を)何度も何度も読み返したよ。僕は文春小僧で、文春に入るものだと思っていたから(笑)。
ジャーナリズムという業界、雑誌という媒体が好きだったのだろう。そういえば、現役と浪人とで2回も東大を受験していたのは意外だった。江藤淳を思い出す。
雑文では、P88「昭和雑文家番付」が秀逸だった。2009年11月号の亀和田さんとの対談なので、あっちへいったりこっちへとんだりもあるけれど。それと、10年前なので、今だとまた違ってくるだろう、お名前も。
亀和田さんといえば、こんなのが。
P271
常盤さんは私が担当した三大遅筆の一人で(あと二人はA山MさんとK和田Tさん)、以下略
青山南さんが遅筆というのは意外だった。
◆ ◆
本書でいちばん面白かったのが、重松清さんとの対談、というよりもインタビューだよね。タイトルに「聞く」とあるのだから。P331~「ゴーストの帝王・重松清に聞く!」(2019年8月号)
何が面白かったかというと、重松清さんの発言の中で、ゴーストをしたときの自分をスタジオミュージシャンにたとえているところ。
P333
重 (ゴーストとしての仕事の中でも)「構成」として名前がでるものはスタジオミュージシャンのつもりでやってたんですよ。アーティストに合わせてプレイする。そのうち年に一回ソロアルバムを出すという感じになったのかな。
坪 ソロデビューは九一年ですよね。
重 そうです。『ビフォア・ラン』がベストセラーズから出て、その後、年に一冊ずつくらい重松清の小説を出したけど、全然評価されなかった。スタジオでバックを務めるときと弾き方を変えようとしたのがいけなかったんだと思うんですよ。(以下略)
いやあ、新鮮だった。重松清の口からスタジオミュージシャンのつもりでゴーストライターをしていたなどという話がでてくるなんて。重松清名義の小説が全然評価されなかった理由として、「スタジオでバックを務めるときと弾き方を変えようとしたのがいけなかったんだと思うんですよ」なんて、格好良すぎる発言だ。インタビュー場所は早稲田大の重松研究室。重松先生はこんなしゃべり方で学生さんに接しているのだろうか。
それにしても、重松清氏、恐るべし。読めば読むほど、ライターとしての実力のほどが伝わる。
取材には同行しない。つまり、ご本人には会うこともない。別の人がおこなった取材テープを起こしたものを読むだけ。すごいぞ。「その代わり、その人の語り口を知るためにテレビを観る、顔写真を机の前に貼っておく」。なぜなら、「体型とかルックスから語彙が決まったりすることもあ」るからだという。プロフェッショナルだ。
「すごく魅力的な人から「ゴーストをやってくれ」というオファーがあったら、いまでも受ける気満々」だという。不思議な人だ。小説家として名をなし、早稲田の教授になった現在での発言なのだ。それだけ、ゴーストの魅力があるのだろう。
『だからこそライターになって欲しい人のためのブックガイド』(田村章、中森明夫、山崎浩一著/太田出版 (1995/02))、この田村章が重松さんのペンネーム。坪内さんが推している。
◆ ◆
P335
【特集】いま校正・校閲はどうなっておるのか!
最近の校正ゲラを目にするとヘコんでしまう(2010年3月号)
すごい。校正が、人の文章を平気で、勝手に直してしまうというのだ。文字だけではなく、言葉そのものも勝手に変えられてしまうこともあるという。
さらに挙げているのが、「事実関係で、何言ってんだコイツ、と思わされることもたびたびある」とも。こちらの例もすごいぞ。
ブントの正式名称に「共産主義」が入るからという理由で、民青と混同しているという校正。
このあとにつづくところが、ツボちゃんらしいところ。
なんにもわかっていないのに、偉そうに指摘する。文章指導も行おうとする。校正者は書き手ではない。それなのに、偉そうに文章指導する。そこで、ツボちゃんはいう。
P337
イヤなかんじがする。
このイヤな感じは何かに似ている。
そう、ネットだ。ネットで偉そうに書いている連中だ。
ワープロ専用機すら使わず、最後まで、原稿用紙に手書きだったツボちゃん。路上から公衆電話が消えてしまい、こちらから通話するためだけの理由で携帯電話を持つようになったツボちゃん。
スマホやパソコンとは縁がなかっただろう。そんな坪内祐三の意見だからこそ、「イヤな感じ」にひと一倍、敏感だっただろう。
ところで、どうしてツボちゃんは「並ぶ」の送り仮名を「並らぶ」とするのだろうか。前間から気になっていた。
◆ ◆
P343
【特集】対談は楽しい!
座談の名手ベスト9!(2015年5月号)
べつのところで浜本茂にも言っているが、菊池寛が座談会の生みの親ではない。『新演藝』という雑誌の芝居合評会をマネしたものだという。
島崎藤村、谷崎潤一郎、川端康成には対談集や座談集が刊行されていない。理由は、そもそもそれらが作家たちにとって重要な仕事だと思われていなかったからだという。
世代的に川端(1898年生まれ)がボーダーであるとも。井伏鱒二(1898年生まれ)や尾崎一雄(1899年生まれ)には対談集がある。なるほど。
ベスト9
東の横綱 徳川夢声
西の横綱 吉行淳之介
丸谷才一 山口瞳
埴谷雄高 鶴見俊輔
山口昌男 林達夫
金田正一
最後に金やんを入れるところがツボちゃんだ。
◆ ◆
巻末に詳細な年譜。
小6で洗礼を受けていた。
そういえば、どこかに教会への言及があって、不思議に思ったことがある。
コメント