[NO.1505] NHKラジオ深夜便 絶望名言

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NHKラジオ深夜便 絶望名言
頭木弘樹NHK〈ラジオ深夜便〉制作班
飛鳥新社
2018年12月25日 第1刷発行
253頁

重いテーマ。そもそも手にした理由は、カフカやドストエフスキーなどについて、お手軽におさらいができはしないかという安易な気持ちからだった。「NHKラジオ深夜便」に、ちょっとひかれたところがなかったわけでもない。「絶望名言」なるタイトルに、目新しさを覚えたかもしれないが。

本書のコンセプトは「はじめに」よりも、巻末のNHKディレクター根田知世己さんの「『絶望名言』ができるまで」に詳しい。

そもそも、本書はNHKラジオ深夜便で放送された内容を文字に起こしてある。NHKアナウンサー川野一宇さんが聞き役となって、頭木弘樹さんが語るという放送内容である。毎回、作家を選び、作品から「絶望名言」を紹介している。文字どおり内容は重いが、うまくユーモアでくるんでいる。ときどき吹き出しそうになる。

で、こんなテーマでラジオ番組を企画した根田ディレクターとは、いったいどんな人なんだろうかと、興味はそっちへ向かってしまった。なにしろ、出演者のお二人の経歴(病歴)が大変なだけに。

芥川龍之介の放送回で自殺についての話題のとき、出演者の二人が遠慮からか無難にまとめそうになった。すると根田ディレクターは、とっさにスタジオに入って、「本当はもっと聞きたいことがあるんじゃないですか?」と言ったという。根田さんはご自分でこのときの言い方を「私の剣幕におされて」と書いている。

ネット検索で見つけました。福祉新聞のサイト、「「絶望名言」トークショー開催 ラジオの名物コーナー書籍化で」(2019年01月18日)に、お三方の写真。にこやかです。

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ここで紹介する「絶望名言」とは、「絶望した時の気持ちをぴたりと言い表した言葉」であるという。

頭木弘樹さんは、二十歳のときに難病にかかり、それから十三年間闘病生活をおくった。その経験から『絶望名人カフカの人生論』などの著書がある。頭木さんと病室が相部屋になった6人がそろって「ドストエフスキー」を読んでいるのをみて、看護師さんが驚いたこともあったという。同室のみなさんは、もともとビジネス書しか読まないような人だったのに。

そんな体験から、「世間の風潮として、ポジティブであることのほうが良しとされている」けれど、「絶望したときに、救いとなるのは、明るい言葉ではなく、絶望の言葉であった」、と頭木さんは言っている。

本書で取り上げた、カフカ、ドストエフスキー、ゲーテ、太宰治、芥川龍之介、シェークスピアの中で、いちばんの「絶望名言」は、絶望名人カフカの(フェリーツェへの手紙)から

将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。
将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。

頭木さんいわく、「半分倒れたまま生きる」こと。長い闘病生活を送った経験から、生きているだけでいいと考えるようになった。現代の風潮として、ポジティブであることのほうが良しとされているけれど、カフカのここでいうまるで正反対の考えかた。根田ディレクターも初めてこれを読んだとき、思わずふき出してしまったあと書いている。さすが、文章が上手い。特技が「つまずくこと」で、最大のセールスポイントが「倒れたままでいること」。なんと奇抜な自己紹介! ここで「セールスポイント」や「自己紹介」なる言葉が出てきたことにびっくり。さすがディレクターだと感心したものの、そういえば、この名言は恋人への手紙からとったものだった。それも二十九歳の頃、カフカが心から結婚したいと初めて思ったフェリーツェへの手紙に書かれてあったという。ネガティブシンキングの極み。

川野アナウンサーから「頭木さんにとって、逆境に置かれて、これが宝石だと思ったことは何でしょうか?」と聞かれた頭木さんは、次のように答えている。

P.231
まあ、だから文学ですね。やっぱり絶望名言は、ぼくにとっては宝石だったわけですけど。ただ、これは、宝石ですけれど、立ち直らせてくれる宝石というよりは、「倒れたままでいさせてくれる枕(まくら)」のようなものですね。そういうふうにぼくは思っています。

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それぞれの作家について、エピソードの選び方が秀逸でおもしろい。文学者の評伝では、研究者が書くと、こうはならない。話のネタがわかりやすい。

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それぞれの回ごとに、絶望音楽なるタイトルで曲を紹介している。カフカでは、さだまさし「第三病棟」を取り上げて、次のようなことを言っている。

小児病棟から子どもの泣き声が聞こえてくる。そのときに、「人はもともと不平等なんだな」と、平等でないことに、悲しみや怒りさえ覚えた。平等だと思っていること自体が間違いなんだ。そもそも、みんな違った境遇で生まれてくるのだから。健康も同じことで、他のこともそうだと思った。もちろん権利や機会は平等に与えられなければいけないが。

P.034
本当はちがって当然なのに「平等であらねば」と思うと、逆に心が焦(こ)げちゃうなと思って。ちがって当たり前なんだなと思うようになって、ちょっと気持ちが逆に楽になりましたね。

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個人的なことだが、「カラマーゾフの兄弟」がどうしても通読できない。「罪と罰」は十代で一気呵成に読んだのに。本書で、ドストエフスキーの読みにくさについて指摘している。

P.055
(読みにくいのは)文章がくどくどしているということが大きいと思うんですよ。

ここで、話は一気に落語『三年酒』に出てくる「おねおねの佐助さん」に飛ぶ。このあたりの呼吸がおもしろい。

佐助さんの話みたいにわかりにくいドストエフスキーの文章が、入院した頭木さんにとって、ものすごく読みやすかったという。病気そのものだけでなく、治療の苦しさ、地町費や生活費、家族、将来のことなど心配事のために、悩みで頭の中がグルグルしている。そういうときにドストエフスキーのおねおね、ぐるぐるした文章は、ぴったりだった。自分に近いし、心地いいほどだった。

本当かいな、と思うほど。聞き手の川野アナウンサーも、(『罪と罰』を読めなかったのは苦悩が)足りなかったのかな。

登場人物たちが渾然一体となって苦悩するところは、「苦悩のオーケストラ状態」と呼んでいる。この表現、初めて目にした。

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P.091
ゲーテというのは、そういう苦しい時には、とても頼りになる人じゃないかなと思います。

取り上げた他の作家にも、苦しいときに頼りになると書いていた。

P.097~P.101
「あらすじ」で見た人生
頭木さんが面白い視点を挙げている。一般にゲーテは役職や残した作品からみれば成功者であったといわれる。これを「あらすじから見た」人生、と頭木さんは呼ぶ。しかし、家庭や細かな生活者の視点からみれば、他の人にはわからない密かな悲しみを秘めていたはずだった。ゲーテは妻も子も失っている。大臣を務めたヴァイマル公国も、当時の人口はわずか六千人で面積は埼玉県の半分しかないような小さく貧しい国であり、多忙を極め、たいして作品を書けていない。

P.101
どうしても人の人生も自分の人生も、あらすじで見てしまいがちじゃないですか。(中略)あらすじで見ない場合は、すいぶん印象も変わってくると思うんですね。
ぼくは病気になる前の若い頃は、むしろ人生をあらすじで生きたいなと思っていたんです。歯を磨いたり、ご飯を食べたり、お風呂に入ったりとか、そういう細々したことは面倒くさくて、もう食事も錠剤でいいし、あれをやったこれをやったというような大きなことだけで人生を生きていけたらいいなと思っていたんです。

「病気になる前の若い頃」というが、頭木さんが難病になったのは二十歳の頃だというから、十代の頃のことだろう。二十代だって、十分に若いのだがなあ。「食事も錠剤でいいし」というところに吹き出してしまった。自分でも十代の頃、似たようなことを考えたことがあったので。『ドウエル教授の首』(『生きている首』)というSF児童小説があった。

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太宰治のダメさかげんと落語の共通性について。
落語に出てくる駄目な人たち。そこに共感して笑う。

P.154
太宰の文学も、そういう共感を読者に呼び起こすと思うんです。

蔵書をあまり持たなかった太宰だが、三遊亭円朝全集だけは大切にした。

川野アナウンサーが「本当に太宰は気弱な弱い人」なのかと問うと、
頭木さんは「太宰は本当に弱い人だと思います」と返し、川野さんはその言葉を聞き、「えっ! そうですか!」と絶句している。

この部分は、実際の放送をぜひ聞いてみたいものだ。そして、頭木さんの「弱さ」についての説明が出てくるのだが、やっぱりここでも、社会通念で流通している常識としての「強さ」と「弱さ」の概念に対して駄目だしをする。

P.156
よく「弱さの強さ」とかね、「本当は強いんじゃないか」とか、それってほめ言葉として言われると思うんですけれど、「弱さの強さ」と言ってしまうと、結局、強いのがいいということになるじゃないですか。弱いのより強いのがいいっていう価値観ですよね。
そうではないと思うんですよね。太宰は。弱さには、弱いからこそ価値があり、魅力がある、(略)

何度も、頭木さんが確認するように押さえていることに、価値の通念がある。ここでは、「弱さ」について。

三島由紀夫を間にはさんで、二人のやりとりは、立派な文学紹介の域に達している。三島の「私の遍歴時代」から引用した「私の最も隠したがっていた部分を故意に露出する型の作家であった」というところ。また、大学生だった三島が太宰に会いに行き、面と向かって「太宰さんの文学はきらい」だと伝えると、「そんなこと言ったって、こうして来ているんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と返答したところ。

どうも、岸田秀の考えかたを連想してしまった。

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P.204
今は、社会一般の風潮として、「ちゃんと自分をコントロールできたほうがいい」って思っている人が多いんじゃないでしょうか。

たとえば健康管理、体重管理、感情の管理など。「できないのが人間だ」ということを前提にして始めないと、難しい

『侏儒の言葉』で有名な箴言の宝庫、芥川にあまりぴんとくるものがなかったのに対して、シェークスピアには響いた。

シェークスピアの絶望名言2
不幸は、ひとりではやってこない。
群れをなしてやってくる。(ハムレット)

シェークスピアの絶望名言3
「どん底まで落ちた」
と言えるうちは、
まだ本当にどん底ではない。(リア王)

シェークスピアの絶望名言5
明けない夜もある。
(マクベス)

「群れをなしてやってくる不幸」というのは、なんだかロシアのことわざの匂いがする。不幸さんが、ドカドカ、ガシガシと(まるで椎名誠の書くような表現で)傍若無人に群れをなしてやってくる様子が思い浮かぶ。

しかし、極めつけが最後の「明けない夜もある」だ。「明けない夜はない」が安っぽく聞こえてくる。ここのところ、川野アナウンサーが英語の原文を提示している。どのような場面で使われるセリフなのか、翻訳によってどのように変化するのか、松岡和子さんによる新しい訳について、などなど話がどんどん広がっていく。そういえば、頭木さんは、名言を自分で訳していたのだったっけ。ここも文学エッセイだった。

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各回の作家ごと、章末に、「ブックガイド」が紹介されていたのもよかった。