本の雑誌2020年3月号 特集=文学館に行こう!

特集は「文学館」。全国の文学館を網羅している。魚雷さんが書いている「山梨県立文学館」、こちらでは「深沢七郎の文学」という図録を出しているという。ネット検索すると出てきた。1200円で送料310円也。古書でもないかな。「山崎方代展~右左口はわが帰る村」なる企画展図録を見つけた。1500円也。他にもユニークな図録がたくさん。館員対談「図書館員ではありません」が目をひく。特に地方の公立文学館では、お役所に理解してもらえないのだ。

巻頭「本棚が見たい!」はアンソロジスト東雅夫さん。本棚を前に嬉しそうなお顔だった。なんでも東京の自宅のほか、金沢にも蔵書を分散しているという。理由は東日本大震災だったとのこと。

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P34~
ティーンエイジャーが陥る二つの罠
=高野秀行SF音痴が行くSF個展宇宙の旅
SF好きの

連載が始まってから毎回、興味深く読んでいた。どうして高野さんはこれまでSFを読んでこなかったのか? 不思議だった。その理由が、今回明かされている。

もともと高野さんは子供時代にSFが大好きだった。それが中学3年の夏休みに『おれに関する噂』(筒井康隆、新潮文庫)を手にしてから、大きく方向転換してしまったのだ。そのあたりの紆余曲折とその後について、ひしひしとかみしめた読んだ。同じような道筋をたどった先輩がいたことを思い出す。

面白かったのが、筒井さんに出会う前の読書について。その中で取り上げていた本に『生きている首』(アレクサンドル・ベリャーエフ、岩崎書店SF少年文庫)があった。小学校の図書室で、岩崎書店SF少年文庫全巻読破したという。硬い表紙の手触り(布がざらざらしたような感触)で白っぽい絵柄が多かった扉の様子が目の前をよぎる。背が丸くなくて、平らで角張っていた。『ドウエル教授の首』というタイトルで読んだ記憶があるので、もしかすると、高野さんの書いているシリーズとは違うのだろうか。あらすじを読むかぎりでは、同じ内容だった。

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P52
進化と物理法則の繋がりを深掘りする傑作
冬木糸一
新刊めったくたガイド

生物進化について、紹介している。物理法則と生物の進化の繋がりを解き明かす系列の本として2冊。。

『生物進化の物理法則』(チャールズ・コケル/藤原多伽夫訳/河出書房新社/2500円)
この宇宙は一定の物理法則に支配されいるから、動く時、泳ぐ時に最適な形は決まっている。地球から何万光年離れた場所であっても、物理法則に変わりはないのだから、生物もその束縛から離れられない。
『生命の歴史は繰り返すのか?』(ジョナサン・B・ロソス)

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P78
生き残れ!燃える作家年代記(11)心がけ編
作家には定年がないが 明日もないんでござる
鈴木輝一郎

毎回面白く読んでいた。今回は、特に面白し。

小説家が仕事をやめるのは、
一、書けなくなって筆を折るか
二、売れなくなって次が出せなくなるか
三、死ぬか
のどれかしかない。このうち、人間の意思が入れられるのは三しかない。そして、ちょいちょいこの三つは手に手をとって白鳥の湖をBGMにパ・ド・トロワを踊りながらこちらにやってくるんである。

デビューは意思と努力でけっこうなんとかなる。ただし、作家であり続けるには、自分の意思や情熱や努力だけではどうしようもない。

このあとも名文が続く。どうして鈴木さんが小説家を続けていられるのか。その理由は作品が売れているからであるという。地味ではあっても、着実に一定なだけ売れている。「この十年、初版部数を削られたことがない。」とまで言いきっている。

もちろん、そこまでには大きな転機があったのだ。十数年前の出来事として紹介している。当時の河出書房新社の担当さんから、次の返本率次第で刊行できなくなることを告げられたのだ。いくら頑張って中身がいい作品を書いても部数につながるとは限らない。売り上げがなければ出版されることはないのだ。商品ですからね。

そこで大きく方針転換する。芸術家を気取るのではなく、読者に楽しんでもらう職人に徹することに。だから今、業界に生き残っていられるのだそうだ。

その次に紹介している北方謙三さんのエピソードもかっこいい。

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P84
サバイバルな書物(55)
人生は困難なのではなく難解なのだ
=服部文祥

服部文祥さん、不思議な人だ。アウトドアの世界では、単独で歩いて荒野を旅するとき、途中の道すじに何カ所か、あらかじめ食糧を仕込んでおくというやり方がある。そもそも、そんな手段を講じてまで、旅をしたいか? 服部さんは実行したのだという。30年くらい前に読んだバックパッカーの本に同じようなことが書いてあって、びっくりしたことを思い出した。その上下巻本はアメリカで出されたその手の中ではバイブルだということだった。タイトルもすっかり忘れている。その当時、バックパッカーなる旅行が日本にも紹介され、流行ったことがあった。もちろん、スタイル先行だったような。その本では、事前にチャーターしたヘリコプターでルートのところどころに食糧を野生動物に奪われないよう工夫して設置しておくのだとあった。旅する場所はアメリカ国内のはなし。それにしてもスケールが違うなと感じたことを覚えている。

服部さんのほうは、北海道の野山、犬を連れての徒歩旅行。それにしたって、3ヶ月間休暇をとったというのだから恐れ入る。なにしろ月刊誌の編集者という身分なのだから。おいそれとは休めるはずもないだろう。

今回の原稿で書いているのは、その旅で活字中毒をあらためて確認したということだった。このあたりのこと、かつて愛読したカヌーイスト野田知佑さんが書いた数々のエッセイにも似たエピソードがあった。野田さん、今ごろどうしているのだろう。82歳だ。4月3日、CWニコルさんが亡くなった。野田さんはお元気なのだろうか。

ここで服部さんが紹介している本
『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って』(高村友也/同文舘出版)
著者高村友也さんも不思議な人だな。

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P93
●ユーカリの木の蔭で
残された名前
◎北村薫

今回は、さすがの北村先生であっても、とりとめのない話かなと思ったけれど、「見巧者(みごうしゃ)」なるキーワードが出てきて、はっとする。小林信彦が父親が「見巧者」だったと書いている。あーだこーだと論じてしまっては、無粋になってしまう。

北村先生が紹介している本
『今日は志ん朝 あしたはショパン』(佐藤俊一郎/同学社)

志ん朝は棺に愛用の独和辞典を入れるほどのドイツびいきだったという。そんなこと、ちっとも知らなかった。

ネットで検索すると、志ん朝さんは獨協高校なんですね。そういう縁ですか。三省堂のサイトに面白い対談「対談 独語と落語とコンサイス」があった。リンク、こちら

対談中、志ん朝は昭和13年生まれで、この対談時に60歳とのこと。で、自分から寿命について話題にしているところが出てくると、こちらはなんとも神妙な気分になってしまった。(兄貴も三平さんも54歳で亡くなって)「......自分のこともちょっと危ねえかなと」、辛い。上記、野田知佑さんと同い年だ! 

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P96
連載的SF話
スター・ウォーズの完結編
●鏡明
「スター・ウォーズ」をすべて映画館で見ることが出来たのは幸運だった。

今月号連載で一番面白かった記事が、これ。
ちなみにスターウォーズの完結編というのは「スカイウォーカーの夜明け」。見開き2ページ3段組を使って、びっしりスター・ウォーズの解説をしている。可笑しいくらい。

途中まで読んで、気がついた。鏡明さん、1980年代にルーカス・フィルムとILMでお仕事をしていたのですね。ジョージ・ルーカスと何度も打ち合わせをしたというし。

鏡明さんにとって、スター・ウォーズとは何であったのか。ご自分で書いている。SFが60年代に様々な形で改革をしてきたことと正反対の方向性を示してしまったのがスター・ウォーズだった。全面的に肯定はできない。「それでもSFが本来持っていた楽しさや夢を再認識させてくれたということが最大の功績だった」。

共和制の中でレイア姫の「姫さま」というのはどういうものか、不思議ではあるが......などと鏡明さん、書いてもいる。帝国とか皇帝ですからね。

「SFが六〇年代に様々な形で成されてきた改革」というところに、鏡明さんの年代が出ている。今の時代の読者にどこまでわかってもらえるだろうか。

「スター・ウォーズ」シリーズの中で初期には重要な役割を担っていた東洋的な思想、ことに神秘的な要素が、次第に希薄になっていった。そうした「東洋的な思想」「神秘的な要素」といった六〇年代的な部分は、時代とともに重要性を失っていったということだという。わかるかなあ、わかんねえだろうなあ。

文末、坪ちゃんの亡くなったことに触れている。そういえば、本の雑誌1月号特集=本の雑誌が選ぶ2019年度ベスト10で、坪ちゃんが3番目に挙げていたのが、マンハントのことを書いた『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた』(鏡明/フリースタイル)だった。雑誌のこと、好きだったんだな。

P97
個人的にはまったく付き合いはないけれども、本の雑誌の日記は面白く読んでいた。同時代を記録するという試みが、こんなかたちで途絶えたというのは、残念。良い仕事をしていたのに。

その当時、生きていれば間違えようのない当たり前なことを、今どきの編集者や自称コラムニストが勘違いして文章にしていることに、よく怒っていましたっけ。ちょっと前の習慣や生活やゴシップなどで、誰も文字に残していなかったことは、ちょっとあとの若者にとって、わかりにくいこととなってしまうのだ。今どきは映像(動画)に映り込んでいたとしても、その意味を伝えてくれる年配者がいなければ、わからなくなってしまうだろう。そして、とんちんかんな勘違いを、いかにもしたり顔で論じる若者に対して、年寄りは憤慨する。そんな繰り返しは、ずっと前からあったのだ。

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P98
南の話(265)←数字が小さすぎて読めない。たまたま手元にルーペが見つからないし。
ゴミ・コレクターのパフォーマンス
=青山南

内容も面白いが、文章がうまい。構成も言うことなし。

冒頭は、本の雑誌1月号掲載の「マルジナリアでつかまえて」(山本貴光)にあった、ディケンズが朗読者として活躍していた話を紹介している。生涯最後の二〇年は四七〇回以上も公開朗読をおこなった「筋金入りのパフォーマー」で、それは「さながらロックコンサートのツアー」だった。聴衆が数千人というのもざらだったとも。カギ括弧が「マルジナリアでつかまえて」からの引用なのだが、それをつなぐ前後の文章もうまい。いや、引用するために切り取る部分を見極める力がまず、優れているのだろう。

話をもどすと、今回の青山南さんのテーマ(というより、題材かな)は「朗読者」。ディケンズよりも小規模ながら、かつてのキューバにいたという「煙草朗読者」の説明から始まる。本当か? と疑いたくなるような話である。

革命前の葉巻製造工場では、労働者が葉巻をつくるあいだ、反復作業の退屈さを和らげるために本を朗読する。エミール・ゾラとヴィクトル・ユゴーが好まれたが、スペイン史の分厚い全集もよく読まれた。その習慣がキューバにだけ、今も残っているのだという。

あたかも村上春樹の小説中に挿入される架空の出来事みたいだ。

話はそこから、どしどし発展していく。物語を読むように面白い。

結局、青山南さんが紹介している本は(なにしろ書評誌ですから、本の雑誌は)、『俺の歯の話』(バレリア・ルイセリ/白水社)。これだけ引っ張り回されれば、読みたくもなる。

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P128
読み物作家ガイド
時代と大衆文化の観察者
●小林信彦の10冊
=三橋曉

待ちに待った特集。作者である三橋曉さんのツイッターリンクにあった、はてなブログのおひとりが「「本の雑誌」441号から」として、「小林信彦の10冊」に触れていた。リンク、こちら。 指摘していることに、どれもほぼ同感。ただし、池澤夏樹さんの小説『スティル・ライフ』などは好きですよ。

なにしろ、ブログのタイトルが「本はねころんで」ですから。これは小林信彦さんの著書からでしょうし。ほかの日付も読んでみると、これがどれも面白く、クオリティ高し。しかも、ほぼ毎日更新。

ほとんど内容が重複してしまいそうで、中止。

そうそう、上記ブログ記事の前半に坪内祐三さんについて触れていた。坪内さんが目指していた雑誌として、扶桑社から出ていた「en-taxi」を挙げている。なるほど。