AIには何ができないか/データジャーナリストが現場で考える メレディス・ブルサード 著 北村京子 訳 作品社 2019年08月05日 初版第1刷印刷 2019年08月10日 初版第1刷発行 351頁 |
シンギュラリティ(技術的特異点)が2045年に起こるのだと聞いたことがある。それまで生きていたい。自分の目で、いったいどんなことが起きるのだろうか。楽しみだ、などと考えた。ちなみにシンギュラリティとは、いずれ機械の知能が人類を超えるという仮説であると説明している。(P155)
ところが、そんなことはけっして起きるわけがない。なぜなら、意識をもたないコンピューターが人間の知性をいったいどうやって超えることができるのだ? という反論も別の意見にある。 で、本書によれば、そのあたりのことが具体的に説得力をもって説明されている。
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おもしろかったところ、いくつか。
P022
著者ら、コンピューターサイエンティストが「人工知能」について言及する際には、「汎用型AI」と「特化型AI」とを明確に区別している。前者はハリウッド版のAIのことで、ロボット執事の頭脳となったりするように、感覚を持ったり、政府を乗っ取ったりすることができる。ターミネーターのシュワルツェネッガーがそれだ。専門家の間(業界内)では、すでに1990年代に見切りがつけられており、今では「古き良き人工知能」と呼ばれている。対する後者は、現実の存在するものを指す。特化型AIは純粋に数学的なAIであり、便利に機能している。
「機械学習(マシンラーニング)」という言葉の使われ方に誤解があって、本来は機械学習は特化型AIなのだ。けっしてコンピューターの中に感覚を持つ存在がいるわけではない。
P027
「第2章 ハロー、ワールド」という、このタイトルを目次で目にしたのが、本書を読むきっかけだった。あたらしいソフトで、このハロー、ワールドを表示させるのが通例だ。うん、最近も、あるプログラムでテスト表示に、この文言を表示させたばかりだ。この本の著者はおもしろそうだと思った。
著者は1991年にハーバードに入学し、コンピューターサイエンスを学んだという。3年生になる頃にはウェブページを作ったり、ウェブサーバーを立ち上げたり、6種類のプログラミング言語でコードを書いたりすることができるようになっていた。当時数学、コンピューターサイエンス、エンジニアリングを専攻していた学部生としては、これはまったく普通のことだった。ただし女性としては、普通ではなかった。(理由は、少数だったため)
「特化型AI」というものは、「ハロー、ワールド」を表示させるプログラムのことであり、どんなに高度で複雑なプログラムであっても、「ハロー、ワールド」の延長である。チェスの世界チャンピオンに勝ったIBMのディープ・ブルーであっても、それはかわらない。
第4章 以降 社会問題について言及
P154
コンピューターサイエンティストや数学者は概して、コンピューターサイエンスや数学は得意だが、言語のニュアンスに敏感だとは言い難い。
pythonはモンティ・パイソンから
ウェブ・フレームワークのDjangoの名称は、開発者がギタリストのジャンゴ・ラインハルト好きだったから
そうした命名エピソードから、「機械学習」の「学習」という名称が誤解を生むことに論を進める。「言語的混乱」と呼んでいる。
「学習」という言葉は通常、人間のような知覚力のある存在に対して用いられる。一方、コンピューターサイエンティストたちは、機械"学習"とはメタファーのようなものであることを理解している。学習とはこの場合、機械が、プログラムされたルーチンの自動タスクを行う際の能力を改善させることを意味する。
わくわくした
タイタニックの衝突事故においてどの乗客が助かったかを予想すること
P167
DataCampのタイタニック・チュートリアルを、Pythonの人気ライブラリーであるpan-das(パンダス)、scikit-learn、numpy(ナンパイ)を使って実践していこう。
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