漢文の素養/誰が日本文化をつくったのか?/光文社新書242 加藤徹 光文社 2006年02月20日 初版第1刷発行 240頁 再読 |
漢文とは日本文化において、どのような位置づけなのか説明している。
学校で習う漢文は国語という教科だ。これはなぜなのか。元は中国語として書かれた文章を、書き下し文という訓読法で読めば、それは日本語なのだ。あたりまえのことなのに、いまだに誤解をする人がいる。
おもしろいことに、明治初期には英語に返り点などを付して漢文の訓読法のように読もうとした動きがあったという。もちろん続きはしなかった。
つまり、現在も国語の授業で習っている漢文とは日本語としての勉強なのです。中国語なら、返り点や書き下し文は要りません。
漢字が日本語の語彙拡大に与えた影響は言うまでもないし。
本書の出だしに挙げられた例が面白い。古代ヤマト民族は色彩を表現する言葉をあまりもたなかった。古代の和語の世界はまるで白黒映画であった。色を表す必要がなかったから。
その例として「ミドリ」を取り上げている。
色彩感覚に敏感だっだ中国ではミドリを「緑」「碧」「翠」のように使い分けた。ところが日本語では......
P26
和語のミドリは、もともと色彩ではなくて触感を表す語で、和語ミヅ(水)の派生語である。ミドリゴ(嬰児)はみずみずしい肌のふくよかな赤ちゃんであり、ミドリの黒髪はみずみずしくつややかな髪という触感的表現である。けっして緑色をした赤ちゃんやグリーンに染めた黒髪ではない。
これって、古典の授業で習った記憶があったな。
で、その先が大切。六世紀ごろから本格的に漢字を学び始め、漢字で自分たちの言葉を書き記すようになると、触感語だった和語ミドリは、漢語の緑に引きずられ、純粋な色彩語に転じてしまった。〈和語ミドリの本来の意味は、「みどりご」や「みどりの黒髪」などの熟語のなかで、「生きた化石」のように保存されることになった。〉
漢字や漢詩文を学びことで色彩美に熱中するようになったのだという。
語彙と同時に感覚も広がることになる。文化は語彙と連動する。
西洋における「ラテン語」と似たような存在であるのが「漢文」であるとも。著者は「エスペラント語」といっている。その背後には膨大な漢字文化圏の書物がある。また、筆談であれば漢字文化圏では意思の疎通が図れる。
p12 三層構造の言語文化
上流知識階級/中流実務階級/下層階級
高位言語=漢文・ラテン語・梵語・古典アラビア語・古典チベット語
昔の植民地と外資に買収された日本企業との例がおかしい。
昔の植民地では、上流階級(高位言語としての)純正英語やフランス語を使い、中流実務階級は現地化した英語を使用し、下層階級は民族の固有語を喋った。
日本国内でも、外資に買収された企業などでは、外国人の社長と重役は純正英語を、中間管理職はカタカナ英語を、平社員は日本語を、と、一種の三層構造が見られることがある。
【気になったところ】
P211
江戸時代から明治にかけて、漢文は「生産財としての教養」であった。日本の中流実務階級にとって、漢詩文は風雅な趣味ではなく、実社会で仕事をするための生産的な教養であった。P224
大正時代以降、日本人の漢文的教養は、基本的に「消費財としての教養」となったまま、今日に至っている。
2019/05/11(土) 07:30~08:00/BSジャパン/ミステリアス・ジャパン【大和朝廷の武器庫~奈良県天理市~】を見ていると、本書で取り上げていたP53の例が出てきて驚いた。
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