[NO.1435] 随筆 本が崩れる/文春新書472

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随筆 本が崩れる/文春新書472
草森紳一
文藝春秋社
2005年(平成17年)10月20日 第1刷発行
318頁

新書であっても、書名のとおり「随筆」集。3作品が掲載されている。中でも最初に収録された「本が崩れる」が秀逸。約3万5千冊であふれる一人暮らしのマンションで、廊下に高く積まれた本が崩れたため、浴室のドアが開かず、閉じ込められてしまった。草森伸一流のユーモアで綴られたこのエピソードから数年後、孤独死してしまった遺体が床の本に埋もれていたため、発見が遅れたのだ。この事実を知って読む「笑い話」には、どこか落語にも似た気分にさせられる。

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最初、「目次」がないとばかり思ってしまった。よくよく見ると、内扉に手書きの書名と「目次」の文字があった。めくると、これも手書きで「本が崩れる」「素手もグローブ ~戦後の野球と少年時代~」「喫煙夜話「この世に思残すこと無からしめむ」」とある。その次のページには、活字で〈跋〉やわらかい本 池内紀と記されている。こちらは一般には解説のことで、池内氏による文章が巻末に掲載されている。さらに小さく、目次文字 坂崎重森。1ページ1タイトルで書かれていた、先ほどの目次は坂崎氏の書かれた文字ということらしい。坂崎氏がどのような経緯でここに手書き字を抵抗しているのか、説明はいっさい無い。その隣には「著者撮影写真」としてページ数が、かなりの数にわたっている。「コンパクトカメラ」と本文にある、フィルム式カメラを常時手元に置いていたらしい。旅先はもとより、室内の崩れた本の山脈の写真も数葉あった。

この本が崩れた乱雑な写真は古本屋を思い出す。数年前、北関東の古書展巡りをしたことがある。サイト「日本の古本屋」で調べ、車で回った。ところが現地に着いてみると、既に閉店しているところも多かった。店主が高齢化していたのだ。かろうじて店は開いていても、買い取った本の整理が追いつかず、店先から奥のレジまでの通路が紐をからめた本の山で歩けないといった見せもあった。中には、本書の写真とそっくりな光景が繰り広げられているところも。足の踏み場もないほど、古本の山だった。

本文全体のページ数の約半分を占めるのが「本が崩れる」だ。一番笑ったのが、P28「本は、なぜ増えるのか。買うからである」というくだり。(たびたび、本書を読みながら声に出して笑ってしまった)。冒頭の数ページは名文だと思う。

このマンションに越すにあたり、書棚を多く並べられるよう、廊下が長いこと、部屋の窓が少ないことを考慮したという。しかし、そんなことで増殖する本が収まるはずもなく、あっという間に床という床には本の山脈が累々と築かれてしまう。高さは背丈くらい。部屋には家具もない。

P35
文明器具(冷蔵庫・テレビ・ステレオ・みななくても生きていられる趣味の器具)は、すべて棄てた。タンスはもちろん、机椅子まで棄てた。趣味の読書人には、文房の道具は大切なものだが、「物書き」には、必要がない。まあ、机がわりぐらいにはなるかと、コタツを兼ねたマージャン卓を残した。

筆者は自分の仕事を「物書き」と称する。ほかでも数回この言葉は登場するが、草森氏の矜恃のようなものがこもっている。

端的にいってしまえば、崩れた本で翌日に閉じ込められた、で終わってしまうことが、なぜP12~P152までになるのか。いろいろな話が挿入されるのだ。松岡正剛氏が『千夜千冊』で、「そういうことをうねうねと入れこんでいる」といっているように、そこが『随筆 本が崩れる』の魅力なのだ。

植草甚一J・Jおじさんの興味は稲妻のように横っ飛びすると称されたものだが、草森伸一氏の随筆は、もっと粘りを感じる。変な連想かもしれないが、小林信彦氏が『日米ワールド・シリーズ』(北杜夫 著、実業之日本社 刊、1991年)所収、「私はなぜにしてカンヅメに大失敗したか」を書評で取り上げていたことを思い出す。

出版社にカンヅメを頼み、ホテルで原稿を書こうするものの、皆目筆が進まない。まず、ホテルへ向かう前には渋谷の場外馬券売り場へ寄ってしまうのだ。確認すると、ホテルに着くまでが14ページも費やされている。とにかく話の筋が紆余曲折の極みである。躁状態のときにやたらと水分を欲するというので、ホテルのルームサービスに氷をしつこく何度も頼むところがリアルであるというようなことを書いていた。さらにいえば、冒頭、「これは随筆とも思われようが、私には珍しい完全な私小説である。」とある。ここで日本の私小説と随筆との言説を思い出す。

『本が崩れる』の場合には、上で抜粋した中に出てくる「コタツを兼ねたマージャン卓」での原稿書きにまつわる話が延々続く。書痙からか、指までもが痛み、足の脛も痛いのだという話。指は中指が特に痛くて......。執拗に記述している。痛みを感じるのは胸の奥まで含め、4つもあるのだとか。それでいて、病院には行かない。

紆余曲折では、秋田への旅行の話にまで脱線するし。旅先では二度ばかり、戸外で眠ってしまうところも変だった。もちろん一人旅である。一度などは海沿いの狭い堤防の上で熟睡したという。落ちれば怪我では済まなかっただろうとも。こうなると、可笑しさを既に超え、どこか変な感じがする。

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「素手もグローブ」は、出だしが地震により、寝ているところへ本が降り積もったとこから始まる。あまりにも降り注いだ本が多いので、身動きすらとれなかったとのこと。なんでも、中学生時代には野球部キャプテンだったとも。

「喫煙夜話」は荷風がらみ。永井荷風も偏奇館が焼かれる前には、和書を大切にしていた。写真に写る草森氏は、荷風を意識したポーズともとれそう。