[NO.1434] 蔵書一代/なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか

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蔵書一代/なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか
紀田順一郎
松籟社
2017年07月14日 初版発行
206頁

荒俣宏さんの師匠である紀田順一郎さんによる蔵書始末記です。ここ最近読んだの「本」にまつわる「本」関連書のなかで、もっとも衝撃を受けた一冊でした。知らない、うっかりしていて気がつかなかったというのは、おそろしい。基本図書といわれた『現代読書の技術』から始まって、ジャストシステムのATOK利用を経由してIT化まで、ながらく愛読してきた紀田順一郎さんだけに、その近況を知らなかったことも含めて愕然としています。

てっきり、著者の紀田順一郎さんは岡山の温暖な地に大切な蔵書とともに引っ越したのですから、ずっと悠々自適な老後の暮らしをなさっているものとばかり思っていました

人生は、ままならないものです。それが、岡山吉備高原の家をたたみ、横浜にあった自宅までをも処分して、現在は書架がたったふたつだけしかないマンションで暮らしておられるとは、ショックがあまりにも大きくて気持ちがおさまりません。蔵書3万冊から600冊になったのだといいます。

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本書にたどりついたきっかけは、『百歳までの読書術』(津野海太郎著、本の雑誌社刊)を読んだことでした。紀田順一郎さんは80歳を過ぎて、ほぼ全部の蔵書を処分したといいます。特に、本との最後に別れの場面、蔵書を積んだトラックを見送ったときに、道路へ倒れてしまい、近所の主婦が心配して走り寄ってきたというくだり、絶句しました。

p14
その瞬間、私は足下が何か柔らかな、マシュマロのような頼りないものに変貌したような錯覚を覚え、気がついた時には、アスファルトの路上に俯せに倒れ込んでいた。
「どうなさったんですか? 大丈夫ですか?」居合わせた近所の主婦が、大声で叫びながら駆け寄ってくる。
「いや、何でもありません。ただ、ちょっと転んだだけなんです」私はあわてて立ち上がろうとしたが、無様にも再び転倒してしまった。後で聞くと、グニャリと倒れたそうである。

これには参りました。情景が浮かびます。

紀田順一郎さんが岡山県の吉備高原に土地を買って、老後の生活をそちらで送ることにしたということを知ったのは何年前のことだったでしょうか。地価の高い首都圏では大量の本を置ききれなくても、岡山であれば書庫がゆったり建てられるのだろうな。気候も温暖でうらやましい、などとのんきに考えていたのです。

それがバブル崩壊の余波から、地域の開発造成が頓挫してしまったのだそうです。仕方なく向こうの生活をすべて引き払ったといいます。奥様からの提案で、横浜の自宅も引き払って、シニア向けのマンションに移住したとこのことでした。

1997年5月岡山県加茂郡吉備中央町に書斎・書庫を設け、蔵書1万冊を移転する。
2011年残りの蔵書2万冊は横浜の自宅へ置いたまま、岡山から撤収する。当然、どこにも1万冊は収まりようがない。
2015年10月横浜の書斎および書庫廃止のため、執筆を休止。12月蔵書の処分を断行する。

p61 名だたる昭和の蔵書家
井上ひさし......山形「遅筆堂文庫」へ。14万冊。
谷沢永一......13万冊。関西大へ、残りは処分。
草森紳一......永代橋際(江東区門前仲町)マンション(2DK、40平米)に約3万5千冊。帯広「任梟盧」(にんきょうろ)3万冊。帯広大谷短大へ寄贈も。
山口昌男......保管用に福島の廃校になった小学校を購入。冊数不明。
布川角左衛門......2万5千冊国会図書館へ。
大西巨人......7千冊。
渡部昇一......15万冊。銀行ローン数億で書庫。
立花隆......3万5千冊、猫ビル建築する。
山下武、島崎博、竹内博、

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本書で、予想以上に参考になったところが、近藤真理恵氏の断捨離で有名な「捨てる基準は、ときめかないもの」でした。

p10
愛書家にとっての書物は多様性の宇宙で、あらゆる本にときめきの契機が埋もれている。単なる「思い出の本」だけに限定しても、優に一千冊を超えてしまうかもしれないと気がついた。選書は再びストップした。

自分でも枕頭の書だけでも、現在とんでもない数に達してしまっているだけに、どうにも。書影だけを写真に撮って、デジタル化保存するといったって、手軽に読めなくてはどうしようもない。