[NO.1412] アメリカ

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アメリカ/村上春樹と江藤淳の帰還
坪内祐三 著
扶桑社 刊
2007年12月10日 初版第1刷発行

『靖国』がでたのが1999年なのでその後に本書がくる。村上春樹と江藤淳の共通するキーワードが「フォニイ」。で、その「フォニイ」を介して二人が共通する作品が『ライ麦畑でつかまえて』。その主人公、ホールデンが好きだったのが『華麗なるギャツビー』。その作者であるフィッツジェラルドをプリンストン大学で研究したのが村上春樹と江藤淳(江藤淳はもともと別のテーマだったのを変更し、またさらに変更したので結局は違ったが)。

坪ちゃんのいうアウラと並んで気になる「文学」ということば。最後に決めます。

p219
私には文学が必要だった。
そんなある日、仕事を終えて一時過ぎに帰宅し、寝床に入った私は、
途中略
書店で買った『懐かしい年への手紙』を読みはじめた。
すぐにその作品世界に引き込まれ、三時間半で読み終えた。
私は『懐かしい年への手紙』に救済された。

へーえ、と思ったのが、三田誠広も同じく第一文学部の演劇だったとのこと。ほぼ同時期に学生生活を送っている。この二人、あわないだろうなあ。

p146
たしかに日本はアメリカに戦争で敗れた。だがそれは、大岡昇平や福田恆存にとっては、ただ、それだけのことだ。嫌米であるとか親米であるとかいう言葉があるが、この時の大岡昇平や福田恆存は、そのどちらでもない。そこまでの(「そこまでの」に傍点)意識をアメリカに対して抱いていない。

p147
大岡昇平や福田恆存はアメリカに対してどこか精神的に優位である(日本の近代化はアメリカの黒船によって始まったが、実はある時期まで、アメリカは、特に文学者たちにとって、西洋ではなかったのだ。アメリカは西洋の下位に属する疑似西洋に過ぎなかったのである)。

で、アメリカに戦後留学した次の世代が安岡章太郎や阿川弘之、庄野潤三たち。そしてその次の世代として挙げられるのが江藤淳だという。

アメリカは西洋の下位に属する疑似西洋に過ぎなかった」とは、文学にとっていえば、当たり前のような話であろう。
たしかに日本はアメリカに戦争で敗れた。だがそれは、大岡昇平や福田恆存にとっては、ただ、それだけのことだ。」というのも、なんだか昭和十年代に何歳だったか、という考え方と似ているような気がする。明治生まれ、大正生まれ。そして昭和一桁生まれ。国民学校による疎開世代。戦争に対するとらえ方が異なるという例のたとえ話。